知らない言葉に出会ったり、気になることが頭に浮かんだりすると、とりあえずメモを取る習慣がある。
それらのメモはその時手近にあった記録媒体、たとえば携帯電話に、パソコンに、適当な裏紙や紙片に、“とりあえず”書きつける。
そして整理できないまま、日々その数が増えていく。
「いずれすべてきちんと調べて自分の糧としたい」という思いはずっとある。
うまく整理できない自分が嫌になることも往々にしてあった。
けれど最近は、未整理の雑多なメモをたまに見返す行為に、楽しみを見出せるようになってきた。
無理しない自分を肯定できるようになったら、とても楽だ。
今回は、そんなわたしなりのメモの取り方・楽しみ方をご紹介する。
メモが整理できないことを、楽しめるようになった

溜まりに溜まったメモ。
そこには20年以上分のわたしの歴史が詰まっている。
時間が経ってから見返すと、何でこんなことをメモしたんだ? と思うことも少なくない。
同じ言葉を何度もメモしていたり、ごく簡単な単語を書き留めていたり。
昔メモした言葉の意味が今も分からず、恥ずかしく情けない思いをすることもしょっちゅうだ。
その一方で、面白いこともある。
まずひとつに、メモをした瞬間のことを思い出せること。
ある程度は同時期のメモが固まっているのと、記憶に残るような特徴的な言葉などのおかげで、その言葉を書きつけた当時の状況が脳裏に蘇ることがあるのだ。
すっかり忘れていたはずの、ほんの些細な出来事。
それがひとつの言葉によって、ふいに鮮やかに思い出される。
懐かしく、何だか素敵なものに出会ったような気持ちになって、小気味よい。
また、直近で新たに知ったことについて、ずっと以前にメモしたのを見つけることもある。
そんな奇妙な偶然に遭遇したら、「そのとき調べていればもっと前から知識として吸収できていたのに」と自分を責めるのではなくて「このことはわたしにとって今が知るべきときだったんだ」と思うようにしている。
こうした考え方を心掛けていたら、自然とメモが溜まっている現状を楽しめるようになっていた。
溜まり続けるメモ
小学生の頃からほぼ毎日、何かしらのメモを取り続けてきた。
紙媒体でも、電子媒体でも、増えていくばかりの言葉は、溜まりすぎてもはやどうしようもない。
それでも時間があるときに、“創作のアイディア”、“観たい映画や読みたい本”、“その他”と大雑把に分類はしているのだが、結局メモする場所を変えているだけで根本的には何も変わっていない。
よし整理するぞと思い立っても、ひとつの事柄について調べるだけでも案外時間が掛かる。
気分に合わない言葉を無理やり調べても、知識として身につかない。
そんなこんなであちこちに散在するメモは、総量にして一体どれほどあるのか。
正確なところは自分でも把握していない始末である。
あまりにも膨大な量になってしまい、一朝一夕にどうにかなるものでもないので、自然と“きっちりすること”を諦められるようになっていた。
前向きな諦め、というのがわたしのメモを取る行為に対しての基本姿勢だ。
わたし流メモの活用法、発見
昔は、メモするばかりでそれをきちんと活用できない自分が駄目な人間に思えて、自己嫌悪に陥っていた。
でも、わたしなりのメモの楽しみ方を発見してからは、自分を責めることがなくなった。
むしろ最近は見返した際に、恥ずかしさや情けなさもひっくるめて、さまざまな感想を抱くのが楽しい。
今では、メモの山を紐解くときは、言葉の集まりの中に過去の自分を見つけて、新鮮な気持ちを味わえるひとときだ。
完璧からはほど遠い自分を受け入れ、メモが溜まっている状態を楽しむ方法は、試行錯誤の末見つけたというより、自然と辿り着いていたやり方で、とてもわたしに合っていると思う。
溜まっていくことを憂うのではない。
いつかの未来に、きっとその言葉を見返して何かを思う日が来るから。
すべての言葉は、わたしが再発見するのを待っている。
昔のメモを解体してみる
ここで実際に、メモの一部を見返して、解体してみよう。
ちなみに今回解体するのは、スマホの未送信メールに昔溜めていたメモを、word文書にまとめたもの。その中から、任意の部分を選んだ。

画像の左下にある、466ページの文字。
そう、こんなメモが500ページ弱もあるのである…。
ここに抜粋した約30語だけでも、すべて調べたらかなり長くなってしまうので、さらに抜粋して調べた。
メディアテーク
せんだいメディアテークの存在を知って、メディアテークとは何ぞや? と思ったに違いない。
メディアテーク(médiathèque)はフランス語で「メディアを収める棚や、視聴覚資料室を意味している(wikipediaより)」らしい。
せんだいメディアテークは建築も取り組みも面白そうなので、いずれ行ってみたい。
アンリ・ルフェーブルとベンヤミン
ルフェーブル:フランスのマルクス主義哲学者。疎外論とヒューマニズムの哲学を主張し、現代日常生活の批判的研究、都市論で開拓的業績をあげる。著「総和と余剰」「日常生活批判」など。
ベンヤミン:ドイツの評論家。ユダヤ神秘主義とマルクス主義を背景に、フランクフルト学派の一員として独特の思想を展開した。ナチスから逃亡中ピレネー山中で自殺。著「暴力批判論」など。
多分マルクス主義か哲学に関する話の中で、一緒に出てきたんだろうねえ。
哲学・思想はちゃんと学んでみたい気持ちが昔からあるけれど、結局何もやっていない。
まずは簡単な入門書から、と思ってはいるのだが…。
ステージママ
子供の芸能活動に付き添い、マネージャーのように振る舞う母親。
何となく、酒場のステージに立って踊ったり歌ったりするママさんの姿を思い浮かべたのだけれど、全然違った。
エリック・サティ
言わずと知れた作曲家である。なぜメモしようと思ったのか?
しばれる
厳しく冷え込む。凍る。東北・北海道地方でいう。
北海道にいた時によく聞いた言葉だ。ということはこれは北海道に行く以前のメモなのだろうか?
御大
(「御大将」の意)かしら立つ人、その道の長たる人を、親しんで呼ぶ語。
今は知っている言葉だったけれど、これを書いた当時は知らなかったようだ。
ただいつも“おんだい”と発音していたので、濁らず“おんたい”と呼ぶとは初めて知った。
御大将という語からきているのなら、その読み方も納得だ。
スパークリングワイン
液中に炭酸ガスを含むワイン。白ワインに糖分を加え再発酵させ、発生した炭酸ガスをワインに保有させて密封する。シャンパンがその代表。人工的に炭酸ガスを吹き込んでつくる方法もある。
シャンパンと何が違うのか、と思ったら、シャンパンよりも広義の語だった。
シャンパンはシャンパーニュ地方限定のものなので、他の地方でも同じようなワインを作っていても何の不思議もない。
※メディアテーク以外は全て『大辞林第四版』(2019年9月20日第一刷発行 編者:松村明 発行所:株式会社三省堂)を参照した。
メモしたまま放置してしまってもいい
実際のわたしのメモをご覧いただいてお分かりのように、長年気になっていながらずっと向き合っていない学問もあるし、知っているようで詳しくは知らない言葉も沢山ある。
せっかく調べても、しばらくするとすっかり忘れてしまってまたメモすることもあるし…。
わたし流のメモとの付き合い方に落ち着いてからは、どんなメモを見つけても笑って受け流せるようになった。
メモの使い方は自分次第なのだから、わたしはこうして気楽に向き合っていくのだ。
“頑張らない選択”は、わたしの思考を前向きにしてくれた。
気になることは何度でもメモして、気が向いたら調べて。
メモの意味が分からなかったら、とりあえずそっとしておこう。
メモの使い方は人それぞれ。
もし昔のわたしのように、“きちんとできない”ことに罪悪感を覚えてしまう方がいたら、自分の心が楽な方法に辿り着けるよう願っている。
少しやり方や見方を変えるだけで、すごく気持ちが楽になることもあるよ。