実家にあるまんがばかり読んで過ごしていた子ども時代。
徒歩通学から電車通学に変わった高校時代も、多少は活動範囲が広まったが、新しいまんがとの出会いは特になかった。
それが大学に入学すると、一気に知らないまんがの情報がなだれ込んできて、いくつもの心に残る名作に出会うことができたのだ。
今回はそれらの作品の中から、特にお気に入りになったまんがをご紹介する。
わたしの世界を広げてくれたのは…

芸術系の大学に通っていたわたし。
創作することが好きで自分の表現を模索している学生が集う構内には、さまざまな“刺激”が存在していた。
講義だけでなく、人や空間そのものから受ける“刺激”に創作のヒントを得て、次の作品に活かす。
そんな日々の中で、新しい少女まんがを教えてわたしの世界を広げてくれたのは、大学図書館と新しい友人の存在だった。
大学図書館の充実の蔵書
芸術系の大学なので、その図書館は、画集や写真集、文学、建築など、芸術関連の蔵書が充実していた。
あまり一般の書店や公共の図書館では目にすることのないような、専門的な書物を気軽に手に取れたので、今思えばとても贅沢な環境だった。
そしてここの蔵書で特徴的だったのが、まんがも所蔵されていたこと。
まんが家を目指す学生もいたし、まんがの資料的価値が認められていたのである。
わたしの好きな1970~80年代の少女まんがも、少なからず配架されていた。
そのほとんどが文庫版だったのは、コミックス派のわたしとしては些か残念だったけれど…。
少女まんがコーナーにまとまっていた作品の中から、自分の好みに合いそうなものを片っ端から読んだ。
少女まんが好きの友人
それから、ゼミが一緒で仲良くなった友人のひとりが、昭和の少女まんが好きだった。
実を言うと高校生の時も、少女まんが好きな友人がひとりいたのだけれど、彼女とは好きな作家や作品がかぶりすぎていたのだ。
お気に入りのまんがの話をしてはふたりで「いいよねえ」としみじみするばかりで、お互いが知らないまんがを教え合うような機会はなかった。
それが大学でできた友人は、好みがかぶっている部分もあれば、かぶっていない部分も多かったので、話しているうちに読みたいまんががどんどん出てきた。
ちなみにその友人からは、まんがに限らず文学や映画なども知らない作品を沢山教えてもらい、大いに刺激を受けた。
また、好きなものが似ていて気が合ったので、人生観や芸術論を語らう濃密な時間を過ごせたことも、大切な思い出だ。
新たに出会えたまんがの数々
大学に入ってから新たに知ってお気に入りになった数々の少女まんがは、趣味の幅を広げるだけでなく、その後の創作にも大きな影響を与えた。
これまで紹介してきた、幼少期にわたしの人格を形成した作品群とともに、今では体の一部になっていると言っても過言ではない。
どれも面白いので、興味がわいたらぜひ読んでみてほしい。
青池保子さんの『エロイカより愛をこめて』
以前から名前は知っていたのだけれど、表紙の絵からやたらガタイのいい男ばかり出てくるイメージがあり、「あまり趣味じゃなさそう」と敬遠していた。
それが、大学図書館で見掛けて手に取ってみると、ハードボイルドな世界観ながら笑いもしっかりあり、知性溢れる作風に圧倒された。
この作品は、北大西洋条約機構(NATO)の硬派な少佐が、ソ連国家保安委員会(KGB)との間で情報争奪戦を繰り広げているところに、何かと美術品窃盗犯の伯爵(エロイカ)が顔を出し、場をひっかきまわしていくという、スパイアクションコメディである。
最初は少年少女のドタバタギャグだったのが、ハードボイルドへとガラッと方向転換し、その少女まんがらしからぬ内容や緻密な設定が幅広い層に受けている。
堅物な少佐と飄々とした伯爵のキャラクターの対比から生まれる展開の面白さはさることながら、イギリスのバンドマンガキャラクターのモデルになっているなど小ネタも多い。
エンターテインメントとして楽しみながら、東西冷戦やスパイの内情に詳しくなれる、異色の作品だ。
篠原千絵さんの『天は赤い河のほとり』
こちらも大学図書館にて見つけた、古代タイムスリップものの少女まんがだ。
古代へのタイムスリップと言えばエジプトが舞台の細川千栄子さんの『王家の紋章』が有名だが、『天は赤い河のほとり』は紀元前14世紀に西アジアで栄えていたヒッタイトを舞台にしている。
高校入学間近な中学生、ユーリは、平和な毎日を送っていた。
けれど彼女はある日突然、生贄として紀元前14世紀のヒッタイト帝国に召喚されてしまう!
訳も分からないままヒッタイト帝国の権力争いに巻き込まれたユーリ。
果たして彼女は現代日本に帰れるのか。
それどころか、権力に固執する皇妃による幾多の妨害を乗り越えて無事生き残れるのか否か。
ハラハラする展開の連続を、次期ヒッタイト国王のカイルとの恋愛模様が彩っている。
古代世界で戦いの女神イシュタルとして活躍する、ユーリの度胸や行動力も、読んでいて気持ちがいい。
元々古代史が好きで、その題材に惹かれて手にしたこの作品。
作中に描かれるヒッタイトの遺跡をいずれは訪れてみたいと憧れ、後にトルコの遺跡巡りをする直接的な要因にもなった。
大島弓子さんの『バナナブレッドのプディング』
大島弓子さんは、わたしの好きな萩尾望都さんや山岸凉子さんなどと同年代に活躍していた作家なのだが、なぜかそれまで全く触れてこず、その存在すら知らなかった。
たまたま大島さんのファンだった友人に「ぜひ読むといい」と教わり、その日の帰りに古本屋で見つけたのがこの『バナナブレッドのプディング』だ。
可愛らしい表紙の少女も、不思議な語感のタイトルも気に入り、早速買って帰りの電車で読んだ。
その内容はというと、姉の結婚が原因で情緒不安定になっている女子高生、衣良が“世間に後ろめたさのある男色家”という設定の異性愛者と、彼が男色家であることを隠すために偽装結婚するも、次第にお互いに好き合うようになる、という話。
正直何度読んでも「何だかよく分からない」のが率直な感想だ。
けれど、分からないなりに主人公の少女の不安定な情緒に共感し、なぜか非常に胸を打たれたのだった。
衣良の行動はエキセントリックでも、根っこのところにある感情に通じるところがあったのだろう。
とても自分に寄り添ってくれている作品のように感じて、一読でお気に入りのまんがになった。
その後大島さんの作品はたくさん読んだが、わたしにとっては大島弓子さん=『バナナブレッドのプディング』である。
環境が変わると、新しい出会いや気付きがある
大学という新しい環境に身を置いたことで、日常的に受け取る情報量が増え、結果としてこれまで読む機会のなかったまんがにも出会うことができた。
お気に入りの作品を繰り返し読むのもいい。
けれど、初めて読む作品によって未知の世界を知るのもワクワクする。
そんな当たり前の真実を教えてくれた出会いに感謝したい。
知らないものを知ることができる喜び
井の中の蛙大海を知らずということわざがあるように、高校時代までのわたしは実家という小さな世界に満足して、外の世界のものを見ようとしなかった。
それが、活動範囲が広がり環境が変化すると、おのずと新しい情報が入ってくるようになった。
一度外の世界に触れれば、好奇心が刺激され、もっと知りたいと能動的に動くようになる。
知らないものを知ることができるって喜びだ。
世の中にはまだまだわたしの知らないまんがが山のようにあり、一作でも多く読みたいという思いが昨今のわたしのマンガミュージアム巡りの原動力になっている。
宝物が増えていく楽しみ
まんがを読めば読むほど、好きな作品が増えていく。
中には自分の好みには合わない作品も存在する。
だがそういった作品からも、自分とは違う価値観を知ったり、自分の好みがはっきりしたりと、得られるものがある。
また、お気に入りになった作品は、時として一生の宝物にもなる。
もちろん人との出会いそのものも、大切な宝物だ。
いきなり環境をがらりと変えるのは難しいが、普段とは違う道を歩いたり、行ったことのないお店に入ってみたり。
そんな小さな行動で、日常的に新しいものに出会い続けたい。
そうして自分の宝物を少しずつ増やしていくような生き方ができたらいいなと思う。