探検家・角幡唯介さんの『極夜行』を、氷点下の寒さの中で読んだ。標高約1,300メートル。テントから出ると、冠雪の八ヶ岳や、降るような星空を望めるキャンプ場だ。日本で最も高い場所にあるJRの駅、「野辺山駅」からそう遠くない場所に位置している。
夫の手によってあちこちに付箋が貼られた『極夜行』を、「絶対に読んだ方がいい」と手渡されたのは数ヶ月前のことだった。北極海を目指して、1日中太陽が昇らない極夜の地を、1匹の犬のみを連れて単独で4ヶ月も歩き続ける冒険譚だという。
せっかく読むのなら、うんと寒い場所で読みたいと思った。想像を絶する彼の体験を、少しでもリアルなものとして感じられるように。
キャンプ場の気温は最低でも-8℃ほどで、-30℃にもなる北極の地の寒さには、遠く及ばない。それでも、かじかむ手でページをめくる夜、無音が支配する氷上の闇に一歩だけ近づけたような気がした。
山から吹き下ろす風は、ざーっともごーっともつかない、不穏な音を立てて近づいてくる。寝袋に入って目をつぶり、テントを揺らす強風に身を固くしながら、角幡さんが何度も遭遇した凶暴なブリザードのことを思った。「ぶうーーん」という突風の音は、どれほど大きく長く、孤独な極北の地に響いたのだろうか。
そして、彼が見たいと望んだ極夜明けの太陽は、どれほど明るく暖かく、世界を照らしたのだろう。
サイトスペシフィック・リーディングとは
特定の場所で、その場所の特性を活かして制作・設置されるアートは、「サイトスペシフィック・アート」と呼ばれる。
たとえば、2022年に開催された国際芸術祭「あいち2022」では、閉校した看護学校である「旧一宮市立中央看護学校」で、残された医療用ベッドを使った作品が展示されていた。その作品、淡々とした語りが続く小杉大介さんの《赤い森と青い雲》は、どこか物悲しい空気が漂う旧看護実習室で聴くからこそ、強く心に残ったサウンド・インスタレーションだった。
同様に、特定の場所でページをめくるからこそ、濃厚になる読書体験がある。それを、少し長いが「サイトスペシフィック・リーディング」と呼んでみることにする。
サイトスペシフィック・リーディングを試みるのに最適なのは、旅先だ。旅に出る時は必ず、目的地が舞台の小説やノンフィクションを探して、何冊か持っていくようにしている。その土地の歴史を解説した新書や、現地出身の方が書くエッセイなんかもいい。
自分の立っている世界と本の中の世界が、地続きであるような感覚を得られるのが、サイトスペシフィック・リーディングの面白さだ。文章で表現された風景、音、匂いなどが、リアルに立ち現れる。
私は氷河を歩いたことはないけれど、雪の降る中、寒さに震えながら『極夜行』を読んでいると、極北の刺すような冷気の、ほんの端っこを掴めたような気がしたのだった。本当ならば、この探検が始まる地である、世界最北の村シオラパルクで読めたらよかったのだけれど。
私たちは「今ここ」を生きることしかできない。けれども、本を通じてその土地に結びつく物語を知れば、見ている世界の厚みは増す。それは、2次元世界が3次元世界に変貌したかのような豊かな感動を、旅先で必ずもたらしてくれる。
プロの読み方
数日前に読んだ『寝ころび読書の旅に出た』の中で、著者の椎名誠さんが「現場読み」について書いていた。
まさにこれがサイトスペシフィック・リーディングだ、彼こそプロのサイトスペシフィック・リーダーだ! と感極まったので、少し引用したい。
本を読む状態でもっとも贅沢なのは、旅に出てその日々に読む時だ。厳密に言うと、旅に出かける前の晩の眠りに入る状況から早くもそういうすばらしい黄金本読書時間の始まりとなる。中でも最も贅沢なのは“現場読み”というやつで、行く旅先のことが記述されている本をその現場で読むことぐらい幸せな読書環境はない。おそらく読まれる本も相当に喜んでいるはずだ。
椎名 誠・著『寝ころび読書の旅に出た』(ちくま文庫)
作家であり写真家でもある椎名さんは、数々の秘境を旅してこられた方なので、サイトスペシフィック・リーディングの規模が違う。
本書では、チリ海軍の軍艦に乗ってビーグル水道を旅しながら『ビーグル号航海記』を読んだこと、タクラマカン砂漠の真ん中にある、消えた湖ロプ・ノール探検に『さまよえる湖』を持っていったことなどが語られる。贅沢すぎる読書体験で、悔しい。
台湾で読む
その場所にひもづく知識や経験が少ないほど、サイトスペシフィック・リーディングは面白い。2022年末に訪れた台湾での読書体験は、豊潤なものとなった。ここで、2冊を紹介したい。
司馬 遼太郎・著『街道をゆく 40 台湾紀行』(朝日文庫)
台湾には、日本が統治をしていた歴史がある。このことについて、よく知らないまま台湾に行くのと、ある程度の知識を得てから台湾に行くのとでは、同じように街を歩いていても、見えるものが違ってくるはずだ。
1923年に生まれた司馬さんは、もちろんこの時代のことを体感としてよく知っている。台湾紀行自体は、1993年と比較的最近の旅であるが、彼の若い頃のエピソードが織り込まれ、日本統治時代の空気にも触れられるような1冊である。
司馬さんが台南を訪れたくだりを、ちょうど同じ場所で読んだ。司馬さん曰く、台南には、大航海時代にオランダ人が建てた赤崁楼というものがあるらしい。私は赤崁楼よりもさらに西へと足を伸ばし、同じくオランダ人によって建てられた要塞、安平古堡を見に行くことにした。付近には夏祭りのような出店が並んでいて、時代がどろどろに溶け合ったような不思議な空間だった。
邱 永漢・著『食は広州に在り』(中公文庫)
台南出身の邱さんが綴る、食のエッセイ。1950年代に連載されていたというので、だいぶ昔の内容だが、食欲をそそる話の数々は今読んでも十分に面白い。
「以食為天」という話の中で、台南の名産のひとつでもある、カラスミの食べ方が紹介されている。美食家だったという邱さんのお父上がこだわった食べ方だという。
炭火をカンカンにおこした上で、パリパリと音がたつほど焼くのであるが、まずその前に、カラスミの薄皮をとることと、熱度の高い火であることがコツで、表面はきれいに焼けて香ばしくなりながら、中は熱くなった程度でなければならない。それを一分ぐらいの厚さに切って、生にんにくの白いところを薄く刻んだものとつけ合わせて食べるのである。これがカラスミのいちばんうまい食い方であるが、日本では大料亭でも生のまま出す所が多いらしい。私たちに言わせると、効果なものをほんとうにもったいないと思う。
邱 永漢・著『食は広州に在り』(中公文庫)
このあまりにも罪深い文章を読んでしまったことで、焼いたカラスミが猛烈に食べたくなり、居ても立っても居られなくなった。とはいえ、こんなものはどこで食べられるのだろう。私はカラスミの味を想像しながら1日を過ごし、解消されない欲求を抱えたまま、高雄の六合夜市をぶらついた。
すると、一軒の屋台が、目に飛び込んできたのだった。それは、炙ったカラスミを売る店だった。大げさかもしれないけれど、運命だと思った。
端を一口かじると、ほんのり香ばしく、深い旨味が余韻となって残った。