窓とカーテンは開けておきたい派のわたし〜エアコンをつける前の、少しの葛藤。

空気の温度や湿度が、ひとの行動を決めることがある。

窓を開けるか、閉めるか。
カーテンを引くか、そのまま自然光を入れておくか。

初夏から夏にかけて、日が長くなってくるこの時期になると、部屋の空気と自分の感覚との小さなせめぎ合いが始まる。

冷房のスイッチを入れる前の数秒。
手が止まるのは、迷っているというより、まだ「そうしたくない」と思っているからかもしれない。

窓を開けていたい理由〜自然の風が通ると部屋の気配が変わる

出典:Pixta

朝、身支度のルーティーンを終えたら、部屋に戻って窓を開ける。網戸越しに外の風が入ってくる瞬間、心ごと“ゆるむ”感覚が好きだ

空間が新しい空気に満ちて、わたしも自然と呼吸が深くなる。煮詰まっていた昨日の自分や、なんとなく一日を始めたくないような停滞した気分が、外気に絆されて入れ替わっていくような。

よほど蒸し暑い日は別としても、「今、外の風がちょうどいい」と思えるうちは、なるべく長く冷房を入れずに過ごしたい。理由は、たぶんその“息ができる感じ”にあるのだと思う。

エアコンを入れてしまえば、たしかにすぐに快適になる。でも、それだと空気が閉じてしまう気がするのだ。

朝も夜も、それぞれに違うにおいと湿度がある。昼間、外から聞こえてくる生活音や道路の通行音も、デスクワークするには案外ちょうどいい環境音になってくれる。

窓を閉め切っているだけでは味わえない感覚だ。

とはいえ、真夏日が来たらそうも言っていられないのも事実。部屋中に熱が籠もり、じんわりと汗が吹き出す。頭がぼーっとのぼせてきて、思考がままならなくなってくる。

そうなってくると、さすがに根性で耐える気にはならなくて、「しかたないな」とリモコンを手に取る

“自然の風が好き”だと思っているからこそ、窓を閉めて冷房を入れる瞬間、少しだけ悔しいような、もったいないような気持ちになるのだろう。

カーテンを閉めるタイミングがちょっとだけずれてきた

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季節が夏に近づくたび、日没までの時間が長くなって、午後6時を過ぎても自然光が部屋に入ってくる。それがうれしくてつい、カーテンを閉めるのが遅くなる。

外が暗くなりきるまでは、自然光のままでいたい。部屋が少し暗くなってきても、蛍光灯をつけずにしばらく過ごしてしまうのは、光の“質”にこだわりがあるからかもしれない。

真っ白で軋むような照明の明るさは、苦手だ。大袈裟な言い方だけれど、目の奥を見透かすような“冷たさ”を感じることがある。だからいかにも事務所感のあるオフィスは嫌いだし、カフェはもちろん洋服屋さんまでも、暖かい照明のお店を好んで入るようになった。

窓から差し込む光には、その時間帯ごとの“色”がある

色というのは、視覚的なものだけでなく、“雰囲気=ムード”も含まれる。朝は日常が変わらず続いていることを再確認するようなトーンで、少し青みを帯びた光。昼はなんだか安心して眠たくなるような、包み込むような柔らかい光。夕暮れ時は、一日が終わったらあとは自由だよと許されるような、オレンジと紫の光。

カーテンを閉めたら、それらがすべて遮られてしまう。外の気配が切り離される。その感じが、どうにも落ち着かない。

「もうちょっとだけ光を入れていたい」という気持ちが勝つとき、わたしはあえてレースのカーテンだけを残して、自然光で過ごすようにしているのだ。

もちろん防犯のために閉めるべき時間帯もあるし、明かりをつけたら部屋の階数によっては中が見えてしまうこともあるから、同じ習慣があるひとは気をつけて。

窓もカーテンも、「自分らしい心地よさ」を守る選択

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風が通るか。光が射すか。それだけで、気持ちが少し変わる

窓を閉めて冷房を入れるのか、もう少し自然の風に任せるのか。カーテンを引いて夜を迎えるのか、もう少し自然の光を取り込むのか。

どれも一瞬の選択だけれど、そのちいさな決断に、「今日はこういう気分」「わたしはこういうひと」という“いまの感覚”が反映されている

真夏の足音が聞こえても、まだ外の空気はやわらかい。だからほんの少し猶予があるうちは、風の感触とやさしい光に包まれて、わたしらしい“初夏のはじまり”を過ごしていたい

織詠 夏葉

おりえ なつは。暮らしのメディア、おでかけメディアにてライターを務める。約3年間エディターやコンテンツディレクターとして稼働し、個人でも執筆活動を開始。映画や音楽、ファッション、雑貨、香水、推し活などに広く浅く興味津々。