30年ぶりに訪れたハノイ。わたしがまだ他人の価値観で生きていた頃。細眉にブルーのアイシャドウを乗せ、「風になりたい」と痛々しく願っていた20代のわたしがいた場所。
今のわたしは五十路まっしぐら。匂ってナンボだった香水からは舵を切り、虫よけスプレーはもはや“香水くらいの位置づけ”で持ち歩いている。
消えたもの、変わらないもの。湿気と記憶が渦を巻くこの街で、
わたしは、ブンチャー(ハノイ名物のつけ麺風フォー)の煙に呼ばれて立っている。
シクロはどこへ消えた?風よりも効率が勝った街で

「ぼられてもいいから乗ろう」と思っていたシクロは、30年前に比べて明らかに減っていた。
あの頃、ハノイの風はもっと自由だったはずだ。
映画『シクロ』の中で、トラン・アン・ユンが描いた“混沌と美”が、当時わたしの中でわけもなく燃えてた。
ヘソを出してる自分が全力で揺られても、なんか許された。
今はどうだ、道ばたに座るシクロの運転手はスマホをいじってる。
わたしが手を挙げても、ちらっと見て、スルーして、またスマホ。
おい、あのしつこい客引きはどうした?
「風になりたい」と願っていた20代。当時はその風こそが自由だと思っていた。
でも今は、湿気と風が混ざって、髪がうねってキノコになりそうだ。
風よ、わたしの前髪にまで栄養与えないでくれ。
湿気と煙が、いちばん古い記憶を連れてくる

30年ぶりに歩くハノイ。Googleマップはあるけれど、わたしを案内してくれたのは湿気と匂いだった。東南アジアの匂いって、暑さと甘さと煙と、人の気配と、全部が混ざり合っている。ひとつの場所じゃなくて、“生きてる”感じがする。
何でも指先ひとつで済ませられる時代に、頼りたくなるのは意外にも“空気そのもの”だったりする。
湿度の中で、昔のわたしにふっと出会う

汗がじわっと浮かんでくる頃、焼けた肉の匂いに足が止まった。
「ああ、この感じ」
どんなガイドにも載ってない、“わたしだけのハノイ”が蘇った瞬間だった。
そういえば20代のわたし、ベトナム映画を見ては胸焼けするほど“そこにない何か”を欲していた。『青いパパイヤの香り』のような、静かで熱い世界に浸りたくて。
若い頃は言葉にできなかったけど、湿度と煙は、旅の記憶そのものだったんだな、と思う。
ブンチャーは、わたしを呼び続けていた

ブンチャー。ベトナム語の響きが、腹の奥に響く。
煙い。甘い。焼けた肉と生ハーブ。
ビールで流し込みながら、「ああ、ベトナムにいるな」と実感する瞬間。
過去のわたしは知らなかったけど、旅を続けられる理由って、こんな素朴な一皿だったりする。
これ、帰ってくる理由なんだわ。
あの頃を思い出して泣いても、湿気が全部吸う。泣いた顔も、すぐ汗に溶ける。
だから泣かない。今じゃない。
泣いたら、過去のわたしがうるさいから。
「エモい」なんて言葉、知らなくていい。
目の前にあるものを食べて、噛んで、また歩き出す。
それが旅だ。
他人の価値観で旅してたあの頃へ──ひとりの旅は、わたしのためにある

20代のわたしは、他人のフレームで旅をしていた。
「見せたい」と思う旅は、案外疲れる。
あの頃の旅は、SNSなんてなかったけど、他人の価値観に乗っかった“自分像”をずっと探していた気がする。
旅がわたしを作るのか、わたしが旅に寄せていたのか、わからなかった。
いまのわたしは、もう人に見せなくていい。
「また来たい」と思うことだけが、旅を動かす理由になっている。
このあと、北部の山岳地帯サパに向かう理由を、
「体力のあるうちに山間部を歩きたくて」
なんて、聞こえのいいことを言ったけれど、本当はわかってた。
わたしをここに連れてきたのは、ブンチャーだったし、湿気だったし、思い出せなかった“何か”だった。
あの頃の見ていた世界と、今見ている世界は確かに違う。
でもその差を“進化”として受け止められるのは、ちゃんと歳を重ねたからだと思う。
泣くのも暑いから、今日はやめる。
泣きたくなったら、またここに来て、ブンチャーの煙に巻かれて泣けばいい。
エモいという言葉がなくても、
旅はわたしの中でまだ続いている。湿気と記憶と脂まみれの、この街の中で。




