エッセイの書き手によって、作品を読んだ後に広がる景色が全く異なると感じている。
たとえば、ある人の作品を読んだときには、喫茶店に行ったときに耳をそばだててきいてしまった隣の席の会話を思い出して、クスクスしてしまったり、またあるときは接客をしたお客さんのことを思い起こしたり。非常にいろいろなことを思い出させてくれる。エッセイが連れ出してくれるタイムトラベルのような時間が大好きで、こんなところまで辿りつくなんて…! と感激してしまうのだ。エッセイというのは本当にすごい。
また具体的な場面が思い出されるだけでなく、言葉では言い尽くせないような温かくてどこか懐かしい読後感に包まれることがある。それは私にとって中前結花さんのエッセイだ。それに、私が大好きで尊敬しているエッセイストのひとりでもある。
中前さんのこれまでの主な作品
- 2023年には初のエッセイ集『好きよ、トウモロコシ。』(hayaokibooks)を刊行。
- ZINE『ドロップぽろぽろ』を制作。
- 待望の2作目『ミシンは触らないの』(hayaokibooks)を2025年に出版。発売から1ヶ月も経たないうちに重版が決定。
中前さんは頭の中にドライブレコーダーが埋め込まれているかのように、ある時期を除いて昔の記憶をかなり鮮明に思い出すことができる、というようなことをエッセイに書いていた。だからなのか、臨場感たっぷりに、色鮮やかに描かれていて、まるで自分がそのシーンに立ち会っているかのようで、物語にどんどん引き込まれてしまう。それと同時に、私のなかに眠っていて忘れかけていた記憶が、ガサゴサと音を立ててよみがえってくるから、これまた不思議だ。そして、寒い冬にもぴったりなぬくぬくエッセイでもある。私が愛してやまない中前さんの作品の魅力を紐解いていこうと思う。
お母さんが大好きと言える素直さ

はじめて中前さんのエッセイを読んだときの一番の衝撃は、中前さんが描く「お母さんと娘の関係」だった。
中前さんのお母さんがすてきなことは読めばすぐにわかる。とても大切に大切に中前さんを育てられたということが、手に取るようにわかる。友達のように仲が良くて、いくらでも話を聞いてくれて、どんなときも中前さんの味方でいてくれて。そして、お茶目でチャーミングな一面も持っている。
読み進めるなかで、あれ?と思うことがあった。なんだか聞いたことがある話のような気がしてならない。おこがましいけれど、これは私と母の話なのか?と思ってしまうぐらい、ものすごく重なる部分があったのだ。私も中前さんと同じひとりっこで、母との関係は姉妹のような友達のような関係で、実家にいるときは毎日話を聞いてもらっていた。それでも話が尽きることはなかった。「よくもそんなに次から次へと話すことがあるな」と、父はほとほと呆れていた。私はありがたいことに、母からの愛情をたっぷりと受けて育った。大事にしてもらっているなと、日々感じることができた。
でも、どこかでこれがどこの家庭にも当てはまる母と娘の関係性ではないということも、薄々気づいていたのだ。友達からは「親には相談なんてせずに決めるよ」と聞いたし、また私がいろいろと母に話していることを伝えると、「そんなことまで話すんや…!」とよく驚かれたものだ。だから母に甘えてしまう自分や、友達みたいな関係性でいることがちょっと恥ずかしいことだと思っていたことがある。
ところが、中前さんは大好きなお母さんとのことをありのままに描いていて、文章から中前さんは、お母さんのことが本当に大好きなんだということが伝わってくるのだ。
それがとてもいいなぁと思った。こんなに素直に家族のことを大切だ、大好きだと言えることはすてきなことだ。私は自分の家族を褒めたり、ねぇいい感じでしょう、なんてことは言えなかったから。だからうれしかった。自分の母のことも褒めてもらっているみたいで。文章の端々に感じる中前さんのそういうまっすぐさに心を動かされたのだ。
記憶の扉を開いてくれた

2作目『ミシンは触らないの』を読みながら、ぽろぽろ、いや、どばどばと泣いた。何度、机に水たまりができたことだろう。目の前にティッシュの山ができあがっていた。
数々のお話に心を揺さぶられたのだけど、印象に残っているのが「ミシンとオーブンレンジ」というタイトルのエッセイだ。そこで私は中前さんの意外な一面を知ることになる。このエッセイには、中前さんの苦手なことが書かれている。たとえば会社でコピーをとることだったり、申請書類の作成やその手続きをすることなど。
私も同じだった。できないこと、苦手なことをカバーできなくて、特に最近目立ってしまうことが多かった。何でもできなくてはと意気込めば意気込むほど空回りする。何もかもできなくなってしまったように思って、頭を悩ませることばかりで、しまいには本厄だからか、と開き直りたくもなったものだ。できない自分を認めることは辛くて情けなかった。それに私は、人に助けを求めることがとても苦手だった。
でも中前さんは違った。「助けてほしい」と言えた。素直で強かった。もしかしたら中前さんだって勇気を振り絞って助けを求めていたのかもしれないのだけれど。
「(前略)人よりもできることがたくさんあって、だけど人よりもできへんことがある。だれでもいっしょ。悲しいことじゃないんよ」
『ミシンは触らないの』ミシンとオーブンレンジp.116
これは、中前さんのお母さんが中前さんに伝えた言葉なのだが、この言葉を読んで、私は一つの記憶を思い出していた。前職は百貨店で働いていた。接客をしたり、商品のセールスポイントを覚えたりすることは得意なのに、どうにもこうにもレジが苦手だった。レジでの特殊な処理、それに必要な伝票。レジの締め作業。人よりも時間がかかったし、ミスもよくした。そんな私に優しく手を差し伸べてくれる人がいたのだ。できないことは悪くないよと、その人も言ってくれていた気がする。そうか、弱さを素直に見せることができていた自分がいたのだ。
中前さんの言葉が、しまい込んでいた記憶の扉をぱたりと開いてくれた。久しぶりに思い出させてくれた。隣にいてくれると安心して心から慕っていたあの人の横顔を。
うれしいのもっと奥深く

「このエッセイの作者は中前さんです」と言われなくても、文章を読んだだけで言い当てられる自信がある。それぐらい文章が「中前結花」なのだ。「どういうところがそうなの?」と聞かれるとうまく言葉にするのは難しいのだけれど。言葉が人格を持っているのではないか思ってしまうほどだ。
『ミシンは触らないの』のなかで、中前さんの友達のひとりが、中前さんのことを「カラフル」と表現したことが書かれていた。本当にそうだと思う。私は、中前さんの心がカラフルだと思っている。
私たちは日々いろいろなことを感じる。うれしい、悲しい、恥ずかしい、悔しい。1日のなかでも心はさまざまに変化する。
たとえば中前さんが「うれしい」と感じたとき、それは「うれしい」だけではない。もっといろいろな表情を持った「うれしい」なのだ。
『好きよ、トウモロコシ。』に収録されている「ホワイトアスパラふたつ」では、結婚はしないだろうと考えていた中前さんが結婚を経て感じたことなどが書かれていた。中前さんは、結婚は幸せなことだけれど、失うものもあると感じていたのだ。ひとりでいるからこそ感じられることがあるのに、そういうものからどんどんと遠ざかっていってしまうようなイメージを結婚に持っていたそう。ところが、旦那さんと過ごしていくなかで新しい感情が芽生えた。
「結婚」なんてしないだろうと思っていた。けれど、隣ですやすやとよく眠るひとは気づけば「わたしの夫」になっていた。言わないけれど、こんな日がいつまでも続けばいいな、と心から思う。電気を消したって、ほら、こんなに明るい。」
『好きよ、トウモロコシ。』ホワイトアスパラふたつp.120-121
電気を消してたとえ真っ暗になっても、明るさを感じるぐらい、穏やかで安心で幸せなことが本当によくわかる。「その感覚、私も知ってる!」と思うのに新しい。そんな表現ができるのは中前さんだからだと思う。やっぱり中前さんはカラフルだ。
そして、中前さんのなかに、幼いときの純粋で柔らかくて少女のような中前さんがずっといるんだと思う。自分の感じたままを大切に大切にできる人なんだと思う。
冬を愛でつつ春を待ちわびて

ちょっぴり切なくなったり、笑ったり、泣いたり。中前さんのエッセイを読んでいると、心が揺さぶられていろいろな感情に出合うのだけど、残るのはやっぱりじーんと胸に染みわたるような温かさだ。じわじわと温めてくれる暖炉のような優しい心地。春を待ち望むかのように、でも冬の寒さにそっと寄り添ってくれるような陽だまりのようなお話の数々。心をそっと溶かしてくれるような愛しい物語にあなたも出合えるに違いない。



