楽しむことにこだわって、願望の先にいる自分に近づく【遊び場の変遷 #2】

学生時代、地元の定番だったあの場所は今どうなっているだろう。
社会人になってすぐの頃はまだ学生時代の延長みたいな遊び方をしていたのに、何が変わったかよくわからないうちに遊ぶ人も場所も変わった。

環境が変わっただけ?それとも、わたし自身が変わったの?
そんなエピソードを手繰り寄せて。

遊び場の変遷は、あなたの変遷かもしれない。第2回をお届けします。

Sallyさん(41歳)の場合

中・高生時代

9割、学校にいた。部活と勉強しかしていない日々。

テスト明けには新百合ヶ丘の映画館に行った。
試験でいちばん点数が悪かった人がホラー映画を観てくるという罰ゲームがあるからだ。
当時、貞子をひとりで見る羽目になったのはわたしです。

大学生時代

9割、部室にいた。音楽と酒、そのためのバイトな日々。

高校時代は勉強ばかりしていたし、はじめての外泊も部室だった。
仲間たちの中で世間知らずな自分を自覚しながら、代々受け継がれてきたという部室で過ごした。

そこで過ごす自分が楽しそうで、それがうれしくて、気づけばいつも自分を客観的に見ていた

タバコの香りが染み付いた部室では、ラテン音楽を奏でながら毎日ビールを空けていた。
その後はいつも酔った下級生のケアに追われる。

部室に段ボールを敷き詰めて、飲んで、世話して、朝になったら早稲田通りを高田馬場駅まで歩いた。「ガツンとミカン」を食べながら、仲間たちと。

駅に向かうあの道、大学へ向かうルートを歩いた記憶はほとんどなくて、帰り道しか印象にない。

土日も部室で楽器を叩く。もはや部室に住んでいた。

20代~

20代は、旅をした。
バックパックひとつで、ブラジル、ボリビア、インド、南アフリカ、イスラエル…あちこちに。

「あー、外国人がいっぱい。いや、この国ではわたしが外国人か」そんなことを思いながら、何もわからない土地で道行く人に地元のおすすめのごはん屋さんを聞いて歩いた。

とにかく、楽しもう!その気持ちに突き動かされていた。

あとは、そう、よく江ノ島にいた。
釣りとかサーフィン、BBQ、花火大会。

朝、しらす丼を食べるためだけに集まって、食べたら解散した。

えのすいの年パスも使い倒した。

江ノ島にいると楽しいことが必ず起こるから、季節を問わず集まった。
誰かの誕生会にかこつけて、適当な記念日をつくって、なんだかんだと江ノ島に集った。

20代後半になっても浜辺でロケット花火の撃ち合いなんかして、青春よ、行かないで…って感じだった。

30代~

30代を過ごしたのは、神戸・三ノ宮、上海、そして、東京。

神戸では明石焼きを食べて満たされたら、カフェ巡りをして、ハーバーランドで夜景を見る。

頑固なオヤジさんが焼いてくれる明石焼きはふわふわで、最高だったな。
たまに好きな芸人さんに会えたりなんかして、それも最高だった。

30代は仕事で海外にも住んだし、転職もしたり、プライベートもいろいろあった。

ただ憧れてるだけじゃない。こうありたい。
そんな願望の先にいる自分に日々近づいていて、そのくせやっぱり、まだ日々何かに振り回されている。

そんな時に思うのは、わたしには自慢の友人たちがいるということ。

次会ったら「ねー!こんなことがあってさぁ~」って笑って話せるように、これからもいろんなところに行こー!おいしいものを食べよー!と思っている。

*
Sallyさんの思い出は、いつもおいしい何かとセットみたい。
40代以降はどんな場所でどんな物を食べて過ごすのでしょうか。

どこの街にいてもおいしいものと友だちがきっとあなたを支えてくれることでしょう。
それがきっと次の遊び場の記憶になるはず。

遊び場の変遷は、あなたの変遷かもしれない。

※この記事はアンケートをもとにご本人にお話を伺い、筆者がまとめたものです。

伏見 香代子

「Sense of…」編集長/聞き手クリエイション責任者/1979年、東京都生まれ。文学少女からコギャルを経て、広義の編集者に。WEBコンテンツ&クリエイティブ、マーケティングに関わることそろそろ四半世紀。好きな映画は「カラー・オブ・ハート」って答えることにしている。感性至上主義。