パリ散歩。ときどき、メトロ

見慣れない天井のクロスと知らないリネンの匂い
窓の外から聞こえるゴミ収集車の騒がしい音

パリで迎える最初の朝は、いつもそんな違和感から始まる。

初めてパリを訪れたのは15年以上前、夫とのふたり旅だった。
以来、家族、友達、仕事でと何度か訪れているけれど、ここ数年はもっぱらひとり旅を満喫している。

“年に一度、パリを訪れる”

これはいつの間にかルーティン化された私のこだわりである。
ルールやこだわりなんてものに縛られて生きるより、そのときどきで流れるままに生きるほうがいい。
なのになぜか、このルーティンだけはこなしている。飽きもせずに。

始まりはそう、いつだってアパルトマンから。
旅ジャンキーである私の原点、パリ散策、ときどきメトロへと案内しよう。

アパルトマンで暮らす。

パリの滞在先はアパルトマンと決めている。
管理人から鍵を受け取り、窓を開けると途端に飛び込んでくるのは喧騒とストリートミュージシャンの音楽。
“ああ、パリだな”って思う瞬間だ。

ホテルではなく、アパルトマンを利用する一番の理由はキッチンがあるから。
物価がとても高いパリで食費を節約するには自炊が手っ取り早い。

マルシェで新鮮な食材が手に入るし、アパルトマンには基本的な調理器具が備えられている。
洗濯機をはじめ、暮らしの必需品は全てそろっているから、まるでパリの住人かのような生活を味わえるのも魅力だ。

マルシェで食材を買う。

マルシェで旬の食材を買い、料理をする。
農業大国・フランスの農畜産物は驚くほど新鮮でおいしい。
パリ近郊で採れた野菜、養鶏場直送の卵、鶏肉、ブルターニュ地方から魚介類、さまざまな地方で作られたチーズやワイン。

フランスの”美味しい”が集まっているマルシェは観光だけじゃもったいない。
「このお野菜はどう料理するのがおすすめ?」なんて、パリジェンヌを気取って店主と会話するのも楽しい(パリは大体英語が通じる)。

1989年から続くパリで最も古い ラスパイユのBIO (ビオ)のマルシェは毎週日曜日に開催。フランス中の新鮮な農畜産物が集まる
春が旬のホワイトアスパラガスをマルシェで購入。茹でたてにボルディエバターを添えていただく至福の時

お気に入りのブーランジュリーを見つける。

1,200軒以上のブーランジュリー(パン屋さん)があるパリで、お気に入りのパンを見つけるなら足で探すのが一番。何度目かの渡仏でバケットならこの店、クロワッサンならあの店と、いくつか自分好みのブーランジュリーを見つけた。

朝、焼きたてのクロワッサンとパン・オ・ショコラを1つずつ買って、テイクアウトしたコーヒーと共にアパルトマンで食べたり、散歩しながら食べたり。
さながら気分はゴダール映画の主人公である。

花を飾る。

パリの街を歩いていると、センスの良いフローリスト(花屋さん)に必ず出会う。
庭のある家が少ないパリでは、花は生活を豊かにするために欠かせないもの。
仮暮らしのアパルトマンに自分好みの花を飾ることで、パリで暮らすことを許された気分になる。

“日本に帰っても毎日花を飾ろう”
いつもそう思うのに、帰国を一番実感する日本の温かい便座に座った途端、すっかり忘れてしまう。

春、パリ5区で見つけたフローリストの艶やかなディスプレイに惹かれ、アパルトマンに飾るブーケを買った

カッフェーに入り浸る。

多くの芸術家や知識人が集い、討論を繰り広げ、文化や思想が生まれたパリのカッフェー(あえて、カッフェーと言いたい)。その歴史は17世紀末まで遡るという。

パリジェンヌのようにテラス席を陣取る勇気がない私はいつも、窓際の席に座る。
時折、街ゆく人々を眺めながら文庫本を読み耽ることが、実はパリ滞在で一番好きな時間だったりする。

いつかの昼下がり。
中国文学「ワイルド・スワン」の世界に没頭する私を、カッフェーの常連らしき自称・詩人のムシューに声をかけられた。

食事に誘われるも、
「ごめんなさいね、私は既婚者なの」
と、断ると驚いた表情で
「だからなんだって言うんだい?私にも妻がいるよ」

パリ、である。

メトロに乗る。

パリ市民の足、メトロはツーリストにとっても便利な乗り物だ。
学生街、カルチェ・ラタンやエッフェル塔、オルセー美術館がある左岸から、ルーブル美術館、ノートルダム大聖堂、モンマルトルがある右岸にも、メトロを使えば簡単に移動ができる。

20の区からなるパリは世田谷区2つ分ほどの面積なので、基本、私は歩いて散策をするけれど、
モンマルトルの丘や、ちょっと足を伸ばして遠くの蚤の市やマルシェに行くときはやっぱりメトロが便利。

乗り換えもとてもシンプルなので、一度利用すればマスターできるはず。
ただし、くれぐれも、防犯対策は怠らないこと。
これ、安全に楽しくパリを楽しむための必須条件

パサージュを歩く。

1800年から続く、パリ最古のパッサージュ「パサージュ・デ・パノラマ」

パサージュとは、19世紀に造られたアーケード付き商店街のこと。古き良き時代の面影が残るパサージュには、カフェやホテル、書店や理髪店などが軒を連ねている。洗練されたシャンゼリゼ通りとは趣が異なる、普段着のパリを感じる場所だ。

大都市パリは、日本のように大型のデパートがいくつもあり(そのうち最も有名なのは世界初のデパート、ボン・マルシェ)、デパートに行けば一所で大体のものがそろうけれど、下町の商店街のような雰囲気のパサージュにはそこにしかない、出会えない価値がある。

例えばパサージュ・デ・パノラマの古切手屋さん。店内に一歩踏み入れると、たちまちノスタルジックな世界が広がるその場所は、エレガントでありながらどこか寂しげ。

19世紀の佇まいがが残るパッサージュは、ベル エポックのパリを堪能できる素敵な場所。
願わくば、いつまでもこの場所に。

パサージュにはパリの営みが感じられる理髪店なども入っている

蚤の市をひやかし歩く。

メトロ13号線に乗って、ポルト ド ヴァンヴ駅で下車。目指すはヴァンヴの蚤の市だ。
いくつかあるパリの蚤の市の中でも、小規模なガレージセールのような雰囲気のここがいちばん好き。
高価なアンティーク品よりも年代物の日用品が多く、見ているだけで楽しい。

ヴァンブの蚤の市はどちらかというと観光客向けの蚤の市なので、価格は高めに設定しているという。
目利きではないうえに、小心者の私は価格交渉というものをやったことはないけれど、
いつか、“これぞ!”というものに出会うことができたら、果敢に挑戦してみたいと思っている。

でも、
「マダム、お目が高いね。ここで30年店を出しているけれど、それを手に取ったのはマダムが初めてだよ」
なんて言われたら、嬉しくて言い値で買ってしまうことだろう。

人から見たらただのガラクタであったとしても、
“このカフェ・オ・レボウルはね、パリの蚤の市で一目惚れして買ったのよう”
なんてことを、一度は言ってみたい。

モンマルトルからパリを一望する。

晴れた日は、モンマルトルの丘に登る。
パリで一番高い丘、モンマルトルはちょっとした登山だ。登り切った先にある白亜のサクレ・クール寺院前の広場からは、パリの街並みを一望することができる。

普仏戦争とパリ・コミューンで犠牲となった市民を慰霊するために建てられたサクレ・クール寺院

かつて、ルノワール、ゴッホ、ドガ、ロートレック、ユトリロなど、芸術家が住んでいたモンマルトルは、今でも多くの画家が集う場所として知られている。
また、下町の風情が残るこのエリアにはリーズナブルなビストロ雑貨店、ブロカントが並び、映画「アメリ」の主人公が働いていたカッフェーや、キャバレー「ムーラン・ルージュ」も現役で営業している。

モンマルトルの細い路地と曲がりくねった坂は迷子になるのに絶好の場所
わざと知らない路地を入って偶然見つけたカッフェーは、渡仏のたびに訪れる大好きなところ。
おこがましくも“行きつけの店”としているそのカッフェーの名前は…
秘密です。

ビストロでランチをいただく。

いくら物価が高いからといって、毎日自炊ではつまらない。
美食の街・パリで外食をするなら比較的リーズナブルなMenu(ムニュ/定食)を提供するビストロが便利。前菜、メイン、デザートを選ぶスタイルとなっていることが多く、難解なフランス語メニューでもなんとかなる。

たっぷり2時間ほどかけていただくランチ。ラストを飾るのはこんなフォトジェニックなデザート。
フランス人にとって食後のデザートタイムは至福のひとときであり、大切な習慣だ。
時計など気にせず、この“口福”な時間を心から堪能しようではないか。

美術館に行く。

ルーブル美術館・ナポレオン広場に建つガラスのピラミッド。夜になるとライトアップによる幻想的な演出を楽しむことができる

年間800万人以上が訪れ、所蔵作品数30万点以上を誇るルーブル美術館。この世界一の美術館を初めて訪れるなら、最低でも丸1日は確保しておきたい。

そして2回目以降は自分が見たい作品、歴史的資料に絞って美術鑑賞を楽しむ。
西洋美術に関する知識はほぼ、作家・原田マハの小説、または映画「ダヴィンチ・コード」で知られるダン・ブラウンの小説、フランス革命においては池田理代子の漫画「ベルサイユのばら」から得ている私は、美術や歴史に明るくない。

でも、芸術が心を豊かにすることは知っている。
描かれた背景、歴史に少しだけ思いを馳せることができる美術鑑賞はさながらタイムトラベル。
ともすれば、ルーブル美術館は絢爛豪華なタイムカプセルだ

“推し”はオルセー美術館。

私がルーブル美術館以上に足を運んでいるのは、パリ1区、セーヌ川沿いのヴェルテール通りに面して建つ、オルセー美術館である。
マネ、ドガ、モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャンなど、美術ファンならずとも知る印象派の巨匠たちの名画が一堂に集結しているのが最大の魅力だ。

写実主義を受け継いだ印象派の作品は、当時の庶民の営み、華やかな社交界の様子を鮮やかに描いており、19世紀、最もパリが華やいだ時代を垣間見ることができる。

1900年万国博覧会の開催に合わせて建設されたオルセー駅を改修し、美術館として再利用されたオルセー美術館には、大時計、プラットフォームを彷彿させる細長い建物、ガラス張りの屋根などが現存し、当時の名残をとどめている。

見えない世界を描く宗教画のような象徴主義よりも、目の前にある現実を感性のままに描く印象派には、何事にもとらわれない、すがすがしい自由がある。
物理的には現代の方がずっと豊かなはずなのに、キャンバスに描かれた小さな世界に、大きな自由と豊かさを感じずにはいられない。

雨を楽しむ。

“Actually, Paris is the most beautiful in the rain.”
(ホントはね、雨のパリが一番美しいのよ)

これは映画「Midnight in Paris(ミッドナイト・イン・パリ)」に登場する台詞である。
滞在期間が限定されるツーリストにとって、天気は晴れているに越したことはないけれど、パリには雨が本当に良く似合う。

雨によってよどんだ空気が洗い流されると、途端に現れるのは光沢を纏ったパリの街。
その情緒的な美しさに出会うことができる雨を、私はいつも心待ちにしている。

しかし、自他共に認める晴れ女である私は、パリに限らず、旅先で雨に当たることはほとんどない。
少し、残念。

セーヌ川で黄昏れる。

全長約780キロメートルのセーヌ川。古くからフランスの水運の要として、人々の生活に寄り添ってきたこの川は、絵画や映画でも数多く描かれ続けてきた場所である。

夕暮れ時、アパルトマンにほど近いセーヌ川に架かる橋から、移りゆく空の色を映した水面と家路に急ぐ人々の姿を眺めていると、無性にわが家が恋しくなる
私がパリで感じる自由とは、家族の寛大な理解と、許容によって守られているのだ。

さあ、そろそろ私も帰る時間。
どんなにパリが途方もなく素敵でも、”我が家がいちばん”と思える私の人生、捨てたもんじゃない。

何者にも媚びない、誇り高きパリ。

花の都パリ。

芸術や文化が栄え、社交界が華やかに活気付いたパリを見た日本人が、いつしかパリを「花の都」と呼ぶようになったという。
それは今も変わらずにあるパリの姿だけれど、何度か訪れているうちに従来のパリのイメージとはほど遠い、“無骨さ”を感じるようになった。

路上にはタバコの吸い殻が投げ捨てられ、メトロには悪臭が漂い、スリ、置き引きが狙いを定めている。
世界一の美術館と美しい街並みと、粗野な貧しさが同居している街、それがパリ。
でも、どんなに街が汚れていようとも、パリにはいつの時代も変わらない、凛とした美しさがある。

観光客が落とすお金で経済が成り立っていようとも、パリは何者にも媚びない。
フランス革命で自由を勝ち取ったことへの誇りと輝きを現代に留めているパリは、生きるエネルギーに満ち溢れ、承認欲求など無縁の世界で、自分らしく、自由に生きている。

パリにいると、人目ばかりを気にし、嫉み、せせら笑う自分の卑しさと醜さを否応にも感じる。
だからこそ、1年にたった一度、数週間滞在するだけのこの街に憧れてやまない。

束の間の自由を求め私は今年もまた、格安航空券探しに奔走し、円安に泣きながらもパリを訪れることだろう。

旅に出たくらいで本質は何も変わらない。
でも、誇り、美しさをとは何かを問い続ける自分でありたい。
思考の停止は、諦めでしかないのだから。

おだりょうこ

猫と旅、音楽と映画で形成されたライター&エディター。旅欲が止まらない旅ジャンキー。雑誌編集、テレビ局勤務を経てフリーランスに。料理は作るの食べるのも得意だったりする。