「人生は映画」大手企業を飛び出したスーパー営業マンが目指す本当の成功とは?

角野賢一(かくの けんいち)さん

nokNok株式会社 代表活動家

2001年株式会社伊藤園に入社。国際部や経営企画部を経験したのち、2009年より5年間、サンフランシスコにて「お〜いお茶」の営業活動を行い、シリコンバレーで「お〜いお茶ブーム」を起こす。2014年に日本に帰国してからは、広告宣伝部に所属。2023年1月に独立しnokNokを設立。

「とりあえずお茶でも飲みましょう」そう言うと、角野さんは畳の上に正座し、抹茶を立て始めました。「シリコンバレーに“お〜いお茶ブーム”を巻き起こしたスーパー営業マン」の姿は、拍子抜けするほど柔和。緊張しながらオフィスを訪ねた私たちの心を一瞬でつかんだのでした。

半年経てば人気者 転勤族で鍛えられた仲間作りの秘訣

──角野さんがサンフランシスコで「お〜いお茶ブーム」を巻き起こしたことはたくさんのメディアで紹介されましたよね! 新しい環境に飛び込んでいくことは昔から得意でしたか?

僕の父はいわゆる「転勤族」だったんですよね。小学校から高校まで東京や横浜、岡山、大分と引っ越して、また横浜に戻ってくる…みたいな生活を送りました。転校すると知らない人に囲まれる学校生活が始まるわけです。なので、そんな環境でも仲良くなれる方法をいつも考えていたから、新しい環境に飛び込むのが得意になったのかもしれません。

──サンフランシスコ時代の現地スタッフやお客さんとはどんな風に距離を縮めたんですか?

サンフランシスコではクリスマスパーティーでマイケル・ジャクソンのコスプレをして踊りましたね!翌朝、オフィスに行くと「MJ!MJ!」って呼ばれるようになってて(笑)。

僕は仕事でもプライベートでも、とにかく「おもしろくしよう!」って考えていて、おもしろくするための瞬発力には自信があります。営業活動なんかでもかしこまった感じは苦手で、「とりあえずお茶でも入れましょうか」というところから始めることが多いですね。周囲をあたたかく和やかな雰囲気にできる人を憧れているので、自分でもなるべくそうできるよう心がけています。

──きょうもはじめにお抹茶を立ててくださいましたね。私たちもとてもリラックスできています!

僕自身、関わった人とはできるだけ友だちのように接していたくて…。「仕事関係の人」とあまり区別したくないんですよね。だからか、独立してからも元同僚たちにもとても助けられています。

──角野さんのその気持ちが周りにも伝わっているんですね。

僕が人とのコミュニケーションで特に意識しているのは「manipulate(操作)ではなく、inspire(鼓舞)」。つまり、相手を操作しようとするのではなくて、相手から僕に興味を持ってくれるように働きかけること。これは、当時Evernoteの日本法人会長をされていた外村仁さんから教わったことです。
「自分の主張を押し付けるプッシュ営業ではなく、お客様の方から寄ってくるプル戦略に変えた方がいいよ」と言われました。

そのアドバイスをもらった後、サンフランシスコでは、とにかくいろんなイベントに何度も何度も顔を出しました。そのうち、相手から話しかけてくれるようになり、「お〜いお茶」にも興味を持ってもらえた。シリコンバレーには僕よりも賢い人がたくさんいたので、「自分はみんなと同じことをしてもダメだ」と思っていたからこそ生まれたスタイルなんだと思います。

サンフランシスコ時代の角野さん

社長の男気に応えたサンフランシスコ時代

──角野さんにいちばん大きな影響を与えたキーパーソンといえる人はいますか?

それは、やっぱり北米伊藤園の本庄洋介社長ですね。「何をやってもOK」と思える環境を用意してくれました。社長とふたりで話す機会ってそう多くはないんですけど、あるとき「(報告することは)とくに何もないです」と言ったら「ふざけるな!」と。「もっと社内にやりたいことを発信して『予算ください!』と言ってこい」と激励してくれたんですよ。そういう男気のある人で「もっともっと大きいことをやれ」と背中を押してくれていました。

──「営業マン」として、影響を受けた人はいますか?

いままで本当にいろいろな人が助けてくれて、いい影響もたくさん受けてきましたが、特に印象的な人として、サンフランシスコで日本食レストランを経営する岩田康弘さんが挙げられます。岩田さんはいまでも僕にとっての重要な「メンター」のひとりなのですが、出会った当初の飲み会で、「君とはもう二度と飲みたくない」なんて言われちゃって…。なんだかまぁ…すごく引っかかって。そのままにはできなかった。次の日、岩田さんご本人にその理由を尋ねに行きました。すると、「最小限の努力で最高のパフォーマンスを出そうとするのが透けて見えた」なんて言われてしまって。

──あれ?なんだか、いままで伺った角野さんのスタイルとかけ離れた指摘ですね。

そうですよね(笑)。やっぱりそのときは調子に乗っていたというか…自分の武器を理解せず、スマートに振る舞おうとしていたと思うんです。その日からしばらくは毎日のようにレストランでの岩田さんを食い入るように見て、盗み、学びました。

岩田さんはどこの社長さんでも観光客でも若い子でも、本当にどんな人も区別せず120%の力で料理について熱く語ります。お客さんが興味があると知れば「その店なら俺から予約しておくよ」なんて他店を担ぐような場面もありました。「この姿こそ一流の営業マンだ」と思ったんです。それから岩田さんは僕の師匠のような存在です。

──「二度と飲みたくない」とまで言われたのに、きちんと理由を聞きに行くという角野さんの行動もなかなかできないことのように思います…。

あー、そうかもしれませんね(笑)。でも、何か“出来事”が起こった時って「ボケとツッコミ」っていうのかな…。僕に向かって何かが突きつけられている状態じゃないですか。そこで僕が何もしなければ「お前なんもせんのかい!つまんない男だ!!」ってなりませんか?岩田さんは僕を叱ったって何のメリットもないのにぶつかってきてくれた。それに対して、僕も打ち返さないと「イケてないよな」と思ったんです。

「対話」で感動とセレンディピティを

──現在、角野さんは伊藤園を退職し、nokNok株式会社の代表として活動されています。独立の経緯を教えてください。

正直、伊藤園をやめようとはまったく思っていませんでした。nokNokの共同代表である水野恵輔くんとは伊藤園の広告宣伝部で3年ほどいっしょに働いていて、自宅が同じ方向だったこともあって、よくいっしょに帰っていました。

共通点として「会社でこんなことをやってみたい!同僚や後輩におもしろい会社だと思ってもらいたい」という考えがありました。ふたりで新規事業案をたくさん出し合っているうちに明大前駅のホームで1時間くらい話し込んでしまったことがあって。その内どちらからともなく「そろそろ伊藤園を飛び出そうか?」って話になって、今に至るって感じですね。親にも家族にも誰にも相談せずに決めちゃいました(笑)。

──やめるつもりじゃなかったのに!運命の明大前駅ですね。会社からは強く引き留められたんじゃないですか?

そうですね。水野くんも1年目から経営企画に配属されるような優秀な社員でしたからね。実際、僕らふたりで退職するとなったときは社長にも引き留めてもらいました。「君たちの挑戦は応援するけど、会社を経営するのは並大抵のことではないよ」と、一社員ではなかなか聞けないような社長の苦労話も聞かせてもらいました。僕らとしてはやめる決意ができていたのですが、社長には本当に感謝していたので残りの期間も全力でがんばろうと改めて思いましたね。

nokNok株式会社を創業した角野さんと水野さん

──水野さんとはどのような役割分担になりますか?

ざっくりいうと、水野くんが経営で僕が営業になります。水野くんは中小企業診断士などの資格も持っていて、登記や融資は水野くんに任せっきりでした。僕は経営に興味がない…といったら怒られますが、とにかく事務仕事が苦手。机の上では何も生み出さない男、といっても過言ではないですね(笑)。そのかわり!僕は外に出てどんどん交流を広げていくのが得意なので、お互い異なる得意分野で補完し合っています。

──理想的なパートナー!水野さんと相性がいいなーと感じるのはどんなときですか?

これ水野くんの本当にすごいところだと思ってるんですけど、彼は僕に対して一度も怒ったことがないんですよ。僕は事務ができないし、フラフラ~っとしているときすらあるので(笑)、「さすがにこれぐらいはやってくださいよ!」って言いたくなるときもあるはずなんですよ。僕が水野くんだったらもう何百回も怒ってると思うんだけど、それでも彼は怒らない。

伊藤園ではたくさん良いことがあったけど、その中の本当に大きなひとつに水野くんとの出会いがありますね。水野くんがいなかったら独立していないと思います。

──現在、起業されて一年ほどが経ちましたね。いま感じていることはありますか?

率直に「僕らは甘かったな」と感じています。お金を稼ぐ、お客様からお金をいただくことって、こんなに大変なのか!と痛感しています。

僕らはいま、日本全国の魅力的な土地や人、物のストーリーを体験できる消費体験サービスを提供しているわけですが、研究者でもエンジニアでもない。改めて「お〜いお茶」のような強力なプロダクトがあることは本当にすごいことなんだなと感じます。オフライン・オンライン問わず、“nokNokにしかない”サービスの形を導き出さなければ!と日々探求しています。

──今後の事業展望を聞かせてください。

正直、まだまだ試行錯誤している段階ですが、形のない体験を売るとしたら、何より関わる人を感動させなきゃいけないなと思っています。

抽象的な話になってしまいますが、重要なのは感動のなかにお客様自身がいること、感動が自分ゴトとなり、今後に影響を与えていくこと。そんなサービスを提供していきたいです。そして感動を生むためには「対話」が不可欠だと思っていて、対話のなかに互いの気づきが生まれるという偶然性(セレンディピティ)が促進されるようなプラットフォームを作りたいなと思っています。いま考えているのはインバウンドとお茶を軸にしたもの。外国人がお茶文化に触れることで、何か共通する精神性を見出したり、違いに気づけたりするきっかけになれば良いですね。

「おもしろい」「かっこいい」を追求した先にある成功

──角野さんご自身にこれからも変わらないであろう、考え方の“”になるものはありますか?

「おもしろいこと、かっこいいこと」は時によって変わっていくかもしれませんが、少なくとも「自分はこういうことをかっこいいと思っています」ということを追求し、発信し続けることが重要だと思っています。そして、多くの人に「角野さん、おもしろいことやってるな」という姿を見せたいですね。その姿を見せ続けることが、いままで僕を助けてくれた人への恩返しだと思ってます!

──角野さんがこれからどんな活躍をされていくのか、とても楽しみです!

ありがとうございます!僕は死ぬときに家族や友達から「お前の人生、映画みたいでおもしろかったよ」って言われたいんですよ。自分の人生を映画だと捉えていて、なので困難にぶつかったほうがおもしろい物語になるんじゃないかな…って。わざわざ独立して会社を立ち上げたのも、お金持ちになりたいとかじゃなくて、「自分の映画」をおもしろくしたいから。

僕らのストーリーが本や映画になったら、そのとき「成功した!」って思えるのかもしれないですね。

荒井 貴彦

ビジネス分野を中心にライフスタイル系、医療系などの記事を執筆。主な執筆先は「日経クロストレンド」「LIMIA」「Let’s Enjoy東京」。ビジネス分野では記事の執筆だけでなく資金調達サポートも行う。

伏見 香代子

「Sense of…」編集長/聞き手クリエイション責任者/1979年、東京都生まれ。文学少女からコギャルを経て、広義の編集者に。WEBコンテンツ&クリエイティブ、マーケティングに関わることそろそろ四半世紀。好きな映画は「カラー・オブ・ハート」って答えることにしている。感性至上主義。