岩間麻里(いわま まり)さん
フラワーショップanvers代表
京都府出身。地元の大学の音楽学科を卒業後、作曲家を志し上京。趣味として始めたフラワーアレンジメントがきっかけとなり、フローリストの道へ。大手フラワーショップでの店長職、フリーでの活動期間を経て、2018年4月にフラワーショップ「anvers(アンヴェール)」をオープン。現在はanversのほか、観葉植物と園芸アクセサリーを扱うカフェ併設のBlucca(ブルッカ)、大型観葉植物を揃えるBluccaの2号店(無人店舗)を経営している。
作曲家を目指して上京し、アルバイトに追われる生活を経て、現在ではフラワーショップanversを筆頭に3店舗を経営する岩間さん。
なんの縁もなかった花の世界に飛び込み、明るくまっすぐな人柄と行動力で運命的な“たまたま”をたくさん引き寄せ、人生を切り拓いてきました。
花との出会いから、花を仕事にするまで。そして花と一緒に歩む今後の展望をうかがいました。
「陶芸でもよかった」偶然すぎるフラワーアレンジメントとの出会い
――上京した当時のお話を聞かせてください。
もともと地元である京都の大学で作曲の勉強をしていて、東京の事務所に所属が決まったので22歳で上京しました。事務所といってもお給料が支払われるわけではなくて、基本的に収入は印税だけです。
それで、いろいろアルバイトをしながら音楽活動していたんですが、仕事に追われながら作曲もする生活にちょっと疲れてしまって。もう少し時間もお金も安定させたほうが音楽活動に集中できると思って、派遣社員として働き始めました。
他にも派遣社員の方がたくさんいる職場だったんですが、みんな仕事は仕事で割り切って、趣味の海外旅行や推し活のために稼いでいる人たちばかりでした。上京してからずっと生活のために仕事をしていて、作曲も仕事としてやっていた私からは、それがすごくキラキラして見えたんですよね。生活にゆとりがあるというか。
そこから仕事や生活に対するスタンスが少し変わって、私も趣味を持ちたいと思うようになったんです。とはいえ、とくにやりたいことはなかったので、たまたま近所で見つけたフラワーアレンジメント教室に通い始めました。
――もともとお花が好きだったわけでもなく、偶然見つけた流れで通い始めたのですか?
そうですね。人生に突然、花が登場しました。探し出したときにタイミング良く見つけて、時間的にも行きやすいし、近所だから通いやすくて。本当にたまたま、いろいろとちょうどよかっただけでした。だから、もし見つけたのが陶芸教室だったら陶芸をやっていたと思うので、今ごろ陶芸家になっていたかもしれないです(笑)。
その後、しばらくは派遣社員をしながら作曲活動もして、趣味でフラワーアレンジメントを習う生活を続けていました。ただ、生活が安定して気持ちにも余裕が生まれてきたら、なんとなく作曲に向かう情熱も落ち着いてきてしまったんです。
東京には、俳優になりたいとか、ミュージシャンになりたいとか、夢を持って頑張っている方がたくさんいますよね。当時、まわりのみんなが揺るぎない情熱を持って、日々の生活に負けずに、まっすぐ夢に向かっている姿を見て「私はそこまで頑張れないな」と思うようになってしまって、気持ちが折れちゃったんです。
これまでの生活や音楽から離れて人生を1回リセットしたくなって、26歳のときに仕事を辞めて、ロンドンへ語学留学に行くことにしました。
ロンドンで気づいた、作曲とブーケづくりの共通点
――留学先をロンドンに決めたのには、何か理由があったのでしょうか?
ロンドンは大好きなアーティストが活動している街だし、フラワーアレンジメント教室で仲良くしていた先輩も移住していたので、楽しいことが待っていそうな気がしたんです。
予想どおり毎日が刺激的で楽しくて、貯めたお金が底をつきそうなほど満喫しました(笑)。帰国前にヨーロッパも巡ってみたかったので、その旅費を稼ぐために留学後半の2ヶ月くらい、先輩が勤めていたお花屋さんでアルバイトをして、それが人生初のお花の仕事になりました。
――ロンドンのお花屋さんでの経験で、印象に残っているエピソードはありますか?
初めてつくったブーケが売れた瞬間は、すごく嬉しかったですね。年配の男性が、「妻へのプレゼントに」と買ってくれました。試行錯誤してつくったものをいいと思ってもらえて、誰かを喜ばせるために買ってもらえるなんて、素敵な仕事だなと思ったのを覚えています。
それに、たくさんの花を組み合わせて自分のイメージを形にしていく工程は、ちょっと作曲に似ているんですよ。ブーケのメインに赤いバラを使うとき、シックにしたいならベージュ系、明るくしたいなら白の花を合わせていくように、作曲もメロディーラインに合わせてピアノで伴奏をつけたり、アクセントにバイオリンの音を入れたりして頭の中のイメージに近づけていくので。
――まったく違う仕事だと思っていましたが、意外な共通点で繋がっていたのですね。
「作曲家もお花屋さんも、自分の思いやイメージを形にして届けて、それで誰かを幸せな気持ちにできる仕事なんだな」と感じて、音楽は挫折してしまったけれど、お花屋さんだったら私にもできるかもしれないと思ったんです。
旅費が貯まるころには帰国したらお花屋さんになる決意が固まって、ヨーロッパ旅では、どの街でもお花屋さんとライブハウスには必ず立ち寄りました。一番印象的だった街は、パリのアンヴェールです。
有名なモンマルトルの丘などがある街なので観光客がたくさんいて、活気があって賑やかだけど、一本路地を入ると地元の人が普通に生活していて。下町っぽい雰囲気が心地いい街でした。
たまたま入ったお店の店員のおばちゃんと仲良くなって、おすすめのお店や、街のおもしろい情報をいろいろ教えてもらったり、泊まったユースホテルでも宿泊客と仲良くなったり。最後まですごく楽しく過ごせて、いい思い出をたくさんつくって帰国しました。
講師よりも店長。現場にこだわり退職
――帰国してすぐ、お花屋さんで働き始めたのですか?
いつから働くか、どのお花屋さんで働くかは決めずに帰国したんですが、結果的にすぐでしたね。帰国した当日にテレビをつけたら、とあるお花屋さんの社長が密着されていて、それを観てすぐに応募して、すぐに働き始めました。
他のお花屋さんではあまりしていない、面白い取り組みをいろいろしている会社で、例えば一つひとつのお花の産地に社長自ら足を運んで、どういうシステムで栽培しているのかを調べたうえで買いつけをするんです。長持ちさせるための改良をしたり、新しい品種をつくったり、意欲的な取り組みをしている農家さんのお花を買えば、業界的な発展にも貢献できるという理由が素敵だなと思いました。
お客様からすれば「このひまわりがどうつくられているのか」って、それほど重要な情報ではないと思うんですけどね。「せっかく買ってもらうならいいものを売りたい」という社長の考え方にすごく共感して、ここで働きたいと思ったんです。
――たまたま観たテレビで働きたいお花屋さんを見つけるなんて、運命的ですね。日本のお花屋さんでの仕事はどうでしたか?
ロンドンのお店がゆる過ぎたのもあるんですけど、すごく厳しく感じましたね。他のスタッフはみんな20代前半で、早ければ10代から働いている方もいる中で、私は27歳で未経験だったので焦りもあったし、年下の先輩に追いつくために必死でした。早く技術を身につけたくて営業時間後も練習したり、休みの日も違う店舗に入らせてもらって他のスタッフの技術を学んだり。頑張りを認めてもらえて、3年後には店長を任されました。
でも、ひとりめの産休が終わって復帰したら、新人向けの接客講習の講師として働くことになっていたんです。認めてくださったからだと思うので嬉しい気持ちもありつつ、私は接客が大好きだから、お店に立てないことにモヤモヤしながら働いていました。
ふたりめの産休明けにも講師としての復帰が決まっていて、店長として現場に戻りたいと希望しても「現場に戻るのは可能だけど、小さい子どもがいる店長は前例がないので任せられない」と言われてしまって。
仕入れ業務は店長にしかできないので、自分がいいと思ったお花を仕入れられないお店で働いても、やりがいを感じられないと考えて退職しました。
フリーの限界と、運命の再会
――退職してからは、どのように過ごしていたのですか?
退職から1年ぐらいは専業主婦をしていたんですけど、私には向いていないなと思いました。会話が成り立たない幼児と赤ちゃんしかいない空間で、手間暇かけてご飯をつくっても一口も食べてもらえなかったりするのが、結構辛くなってしまったんです。仕事と違って、頑張った分だけ成果が得られるものではないので、仕方ないんですけどね。
再就職も考えましたが保育園の空きもないし、時間的にも融通がきかないところが多かったので、住んでいる浅草を拠点にフリーのお花屋さんとして活動を始めました。
――フリーでの活動は順調だったのでしょうか?
数は少ないながら私にお願いしたいと言ってくださるお客様がいたので、細々とですが、それなりにやっていました。近所の歯医者さんに定期的にお花を届けたり、新規でオープンするお店にお祝いのお花を届けたり。子どもをおんぶしながらお花を買いつけに行って、家でつくったものを届けていました。
やっぱりつくっていると楽しくて、お花の仕事が好きだなと改めて思いましたね。でもわりとすぐに、フリーでの活動に限界を感じるようになりました。
私のお花を見て褒めてくれた方に「今度買いに行きたいんだけど、どこのお店なの?」と聞かれても、「フリーでやっていて、お店はないんです」と答えると、そこで話が止まっちゃうんですよ。せっかくの機会を逃すことが多くて、今後もお花屋さんを続けたいなら店舗が必要だと思いました。
――お店をオープンするのはかなり大きな決断だったと思うのですが、不安はありませんでしたか?
すごく不安でした。子どももまだ小さいし、浅草での知り合いもまだまだ少ない状況でひとりで一から立ち上げるのはハードルが高かったです。
一歩を踏み出せずに悩んでいたときに、いつもお願いしているネイリストのひとみちゃんから、結婚式の装花を頼まれました。式にも参加したら、エステティシャンのナオちゃんとひさしぶりに再会して、ちょうど彼女も浅草近辺でお店を出したいと考えていることを知ったんです。奇跡的なタイミングに意気投合して、その場で一緒にやろうという話になりました。
それから浅草エリアで少し喧騒から離れた立地にこだわって探して、ようやく理想的な物件が見つかったんですけど、エステとお花屋さんだけでは持て余してしまいそうなくらい広いことだけがネックでした。経営がうまくいく保証もないし、できるだけ予算を抑えたかったので見送るか悩んだけれど、どうしても諦められないほど理想的だったんです。
それで、ネイリストのひとみちゃんも誘ってみたら二つ返事でOKしてくれて、ネイルサロンとエステサロン、お花屋さんの3業態を展開する複合店舗としてオープンできました。お花屋さんの店名は、大好きなパリの街からとった「anvers(アンヴェール)」です。浅草もアンヴェールも大きな寺院があって、下町の雰囲気があって、観光客と地元住民の生活が共存している感じがよく似ています。浅草でお店を出すなら、店名はanversにしようと決めていました。
現在はanversの他に、観葉植物と園芸アクセサリーを扱うBlucca(ブルッカ)、大型観葉植物を揃えるBluccaの2号店(無人店舗)を経営しています。
文化とインテリアに溶け込ませたい
――anversとBluccaの経営において、重視しているポイントがあれば教えてください。
花やグリーンを部屋に置くことが、日常の当たり前として日本の文化に溶けこむための提案をしたいと考えて、商品の買いつけや展示をしています。
日本では誕生日やパーティーなど、特別な日のためにお花を買う場合が多いと思いますが、ヨーロッパでは食材を買うのと同じような感覚で、日常的に花を買う方が多いんです。できれば日本もヨーロッパのようになってほしいけれど、そもそもの文化が違うので、日本に合う形で“花を日常にするためのアプローチ”をしようと考えて、インテリアと融合させる提案を始めました。
日本では、四畳半の部屋の”半”のところまで無駄なく活かすためにインテリアを工夫して、綺麗に整えて部屋を使う文化があります。お花を飾るときにも、飾るのに相応しい場所を確保するために部屋を綺麗にしたり、グリーンを置くために片付けてスペースをつくったり、インテリアとの調和を考えている方が多いと思うんです。
だから私のお店では、どんなインテリアにも馴染みやすいフラワーベースや植木鉢を取り揃えています。フラワーベースはすべてガラス製、植木鉢のカラーは基本的にブラック、グレー、ホワイトで、カラフルなお花やグリーンの観葉植物と合わせて部屋に置いても、浮かないものばかりです。
――お花やグリーンを、インテリアの一部として提案していらっしゃるんですね。
そうですね。だからBluccaでは、普通の家にあるような家具を店内に配置して、お客様ご自身の生活に取り入れるイメージがしやすいように商品を展示しているんです。お花やグリーンが、非日常の特別なものではなく、日常の中に溶け込んだ当たり前の存在になってくれたらいいなと思っています。
――Bluccaはカフェも併設しているので、店内でカフェラテやスイーツを楽しみながらグリーンを眺められるのも、より具体的に家に置いたときの姿をイメージしやすそうですね。
それも狙いのひとつですが、別業態との掛け合わせで、お互いのお客様を惹きつける狙いもあります。anversはネイルサロンとエステサロン、Bluccaはカフェ、大型観葉植物を無人販売しているBluccaの2号店は、1階が調理器具屋さんと、必ず違う業種と一緒に運営しているんです。お互いのお店を知ってもらうチャンスも増えますし、そこから興味を持っていただけたら、どちらにとってもプラスになるので。
お店を知ってもらうチャンスを増やす活動としては、ワークショップを開催したり、店舗をイベントスペースとして貸し出したりもしています。
ワークショップは会場装花のレッスンや、新作のバラを使った著名なフラワーアーティストさんのデモンストレーションが見られるなど、他のお花屋さんではあまり体験できない内容のものが多いです。世の中にお花屋さんはたくさんあるので、いろいろな切り口で差別化しながら周知活動をしていきたいと考えています。
花とグリーンは、もっと気軽に楽しめる
――周知活動のひとつとして、ご自身の大きな転機となったフラワーアレンジメント教室をやろうと考えたことはないのでしょうか?
それはないですね(笑)。接客講習の講師をしているときに思いましたが、誰かにものを教えることがあまり得意ではなくて。お花屋さんとして現場に立って、自分で手を動かしているほうが好きなんです。代表という立場になった今も、基本的にanversでお花に触れています。これからも多分ずっと、それは変わらないと思います。
――お花との出会いは、天職との出会いだったのですね。お花屋さんとして、今後やってみたいことや目標などがあればお聞かせください。
まだまだ構想段階で具体的なことは何も決まっていないのですが、お花やグリーンをもっと気軽に生活に取り入れてもらうための会員制のサロンを開きたいと思っています。月に1回くらいBluccaに集まって、その時季の旬のお花を眺めながら、みんなでお酒を飲んでおしゃべりするような。
そういう機会をつくって身近に感じてもらえたら、花もグリーンも、もっと気軽な存在になれると思うんです。お花屋さんに遊びに行くような気持ちで参加していただいて、花を愛でることを楽しむ体験を提供していきたいです。