子供時代、多くの人が食べたはずの学校給食。
どんなものが出たかとか、何が好きだったかとか、覚えてる?
わたしもすっかり忘れていたけれど、一度考え始めると小学校時代の思い出が芋づる式にあれこれと思い出されてきた。
そんな給食にまつわる思い出を、懐かしく振り返ってみたい。
わたしのこと
- 年齢:28歳
- 性別:女
- 職業:少女漫画ライター
- ライフスタイル:誰かと同居、インドア派、リモートワーク、夜型、外食派
給食のこと覚えてる?
何かきっかけがあったのか。特に心当たりはないのだが、最近よく給食のことを思い出す。
中学はお弁当だったので、小学校の給食のこと。
(幼稚園時代も給食の出る日はあったけれど、たまごふりかけがおいしかったくらいで、然して思い出はない)
食べ物の記憶って、味や匂いだけではなくて、その時あった出来事や考えていたことまで、鮮明に思い出させる。
眼裏に立ち上る湯気の先に、記憶の底に沈んでいた小学生時代の自分がゆらゆら見えてくる。
わたしの給食事情
中学校はお弁当だったから、わたしの給食の思い出は小学校時代だけだ。
で、その小学校給食、わたしはけっこう好きだった。おいしかったのだ。
校舎の一階に給食室があって、校舎裏のうさぎ小屋の辺りに行くと、調理中の様子が見えた。
そこで大鍋をかき混ぜている白衣の人たちを見る度に、早く給食の時間にならないかなあと思っていた。
メニューのバリエーションも豊富で、月一で配布される献立表は欠かさずチェック。
特に好きなものが出る日は朝からウキウキだ。
普段はあまりおかわりしなかったわたしも、好物が出た日はよくおかわりしていた。
あまり憶えていないけれど、給食当番もあった。
週替わりの当番が給食室まで取りに行き、金属製のワゴンでガラガラとその日の食事を運んでくる。
クラス全員が一列に並んで自分の分をよそってもらい、五、六人ごとの班で机をくっつけて食べた。
今は母校の給食も、味や提供の仕方など色々変わったと聞くけれど、昼休みを待ち遠しく思う気持ちや、クラスメイトと同じ食事を前に時間を共有するちょっと不思議な感覚なんかは変わらずあってくれたらいいなと思う。
全国の給食事情
全国に目を向けてみると、公立学校では中学校でも給食が出るのが一般的のようだ。中学校の給食は未知の世界なので、小学校と中学校でメニューや味付けに違いがあるのかなと、そんなことも気になったりする。
地域差があるといえば、郷土料理メニューが羨ましい。
憶えている範囲では、わたしの地元ではご当地メニューが出たためしがない。
そもそも地元の郷土料理でピンとくるものがないけれど、何かあるんだろうか…?
こんな具合なので、目立った特産品や特異な郷土料理のある地域に憧れてしまう。
わたしも同郷の人と、その地域だけで通じる給食ネタで盛り上がってみたかった…!
典型的な給食像
土地によって違う給食がある一方で、典型的な給食像も存在する。
給食といえば誰しも真っ先に思い浮かべるあのメニュー。そこから懐かしの給食を垣間見てみる。
揚げパンのノスタルジー
ステレオタイプな給食を想像する時、そこには必ずと言っていいほど揚げパンの姿がないだろうか?
それはわたしの学校でも定番のメニューだった。だがわたし自身は揚げパンが大好きだったわけではなく、むしろきなこや砂糖がまぶされたパンをきれいに食べるのに苦労していた記憶がある。
にもかかわらず給食=揚げパンのイメージが強いのは、それがかつての子供たちに愛された、昭和の学校給食を代表する存在だから。
母いわく、当時は生活の中で甘いものがまだ珍しく、砂糖がたっぷりかかった揚げパンはとびきりのごちそうだったのだとか。
甘いものが身近にあふれている時代に育ったわたしには、目から鱗だった。
そうして昭和の給食の印象と密接に結びついた揚げパンは、昭和レトロの文脈でしばしば登場する。
2000年代初頭に発売された、昭和を懐かしむ大人のためのグリコ『タイムスリップグリコ』には揚げパン付きの給食フィギュアがあった。
近年流行りの給食が食べられるカフェでも欠かせない看板メニューになっている。
そんな作られたイメージによるものか、それとも素朴な佇まいからか。
揚げパンは昭和生まれではない世代にも、なんだか懐かしいノスタルジックな存在だ。
噂の給食
揚げパンは昭和を代表しつつ現代まで続く王道メニューだけれど、今はもう食べられない、親世代の噂でしか聞いたことのないメニューもある。
それが脱脂粉乳だ。
脱脂粉乳は1960年代半ば頃までずっと給食の定番だった、粉ミルクを水で溶かして温めたものだ。独特な匂いがして、とにかくまずいという噂。
その後瓶入り牛乳を経て、紙パックの牛乳が主流になっている。わたしも6年間、ほとんど毎日紙パックの牛乳を飲んで育った。
脱脂粉乳の味は想像できないが、いかにまずかったかと語る父の熱弁に、現代に生まれてよかったと思ったものだ。
反対に食べてみたかったのが、鯨の竜田揚げ。
捕鯨が規制されている現代では、給食はもとより日常生活でもめったに鯨肉を食べることがない。だが、戦後は捕鯨が推進されていたため、しばしば給食にも使われていた。
低カロリー高たんぱくで重宝され、脱脂粉乳より後の1970年代まで給食で提供されていたそうだ。他に鯨ステーキなるものもあったとか?
思い出の給食3選
最後に、強く印象に残っているメニューをいくつか紹介したい。
当時の献立を思い出そうとすると、なぜか主菜はほとんど覚えていなかった。それよりは地味でも何度も食べて親しんだ副菜や、珍しい食べ物が懐かしく思い出される。
好物だったもやしのナムル
中でも一番好きだったもやしのナムルの話からはじめてみる。
もやしとにんじんと、ほうれん草も入っていたのだったか。それをごま油と醤油で和えたもの。
あっさり薄味ながら飽きのこない味付けで、箸休めにもなる名脇役だった。
毎日食べたいくらいに出る日が待ち遠しかったものだ。
似たところで、ほうれん草の胡麻和えも美味しかった。
こういう家庭的な味にほっとするメニューが、妙に記憶に残っていることはないだろうか。
食べられなかった肉まん
6年間の給食生活でたった一回、肉まんが出たことがあった。中身のない皮だけのマントウはたまに出てそれはそれで好物だったけれど、肉入りは一度きり。
献立表にその名を見つけてから毎日指折り数えて、本当に楽しみにしていた。
それなのに、その日に限って体調を崩し昼前に早退することになってしまったのだ…!
何年経ってもたまに、あの時食べられなかった悔しさがぶり返す。
食べ物の怨みは恐ろしい。
ズッキーニを知った夏野菜のカレー
夏になると毎年、夏野菜のカレーが出た。
使われている夏野菜は、ズッキーニとか茄子とかトマトとか。
このズッキーニ、献立表で初めて見た字面にとても新鮮な印象を抱いた。
聞きなれない響き、見た目も味も全く想像できない野菜。
もともとズッキーニは味に癖がないし、名前のインパクトが強すぎて、カレー自体の感想は何も覚えていない。
ただスーパーでズッキーニを見かけるたびに、この夏野菜のカレーを思い出す。
もう食べられないあの味
学校を卒業してしまえば、もう食べることのできない給食。
こうして思いを馳せていると、無性に食べたくなってくる。
かつて子供だった大人たちが、懐かしがって給食を食べられるカフェに行く気持ちが分かった。
今回この記事を書くにあたって、編集部から「再現はできないか」とコメントを頂いた。
言われて初めて自分で作るという選択肢に気付いた。
でもあのお皿、あの空間で食べてこその給食だし、家で作るのはちょっと違う気がする…というのが今の気持ち(普段料理をしないので、自分の記憶を頼りに味を再現するスキルがないのも大いに関係している)。
食べられないからこそ、ノスタルジーに浸る。わたしにとって給食はそんな存在だ。