国語の偏差値32だった小学生時代…そんな僕が本好きになったきっかけ

僕は、国語が嫌いだった。
「作者の気持ちを50文字以内で述べよ」と問われても、「わかるわけない」と空欄のまま出した。

けれど、「一冊の本との出会い」が、僕の人生を変えた。
それはまさに「運命」ともいえるレベルで、自分でも驚きを隠せなかった。

そして今では、待ち合わせまで時間があれば書店を選んで時間をつぶすほど大好きな場所に。
そんな「僕が本好きへと変わった瞬間」を、この記事で届けたいと思う。

国語だけはどれだけ勉強してもダメだった

自分で言うのもなんだけど、僕は小学校のころから勉強ができた。
というのも、中学受験のために学習塾に通っていたから。

その塾では、1ヶ月に一度学力テストがあった。

  • 国語
  • 算数
  • 理科
  • 社会

この4科目の合計で、順位がつけられるものだ。

けれど、僕の成績は、得意・不得意がかなりハッキリしている。

  • 算数:偏差値 65
  • 理科:偏差値 52
  • 社会:偏差値 60

ここまで見ると、とても賢い子どもだ。
大抵の親や先生も「学力に問題のない生徒だ」というだろう。

しかし、国語だけは違った。

「国語:偏差値 32」

他の科目と比べて、飛び抜けて国語が苦手なのがおわかりいただけただろう。

そこから6年…「国語嫌い」は変わらない

偏差値32という伝説を叩き出してから6年。
僕は、大学受験を控えていた。

「国語が嫌い」という理由で理系コースに進んでいたが、センター試験(今でいう大学入学共通テスト)では国語を受けなければならなかった。
そうなると、最低限の点数は取っておく必要がある。

そこで僕は、現役予備校に通うことにした。

国語の授業はとてもわかりやすく、少しずつ解けるようになってきた。
それでもわからないところは積極的に質問し、勉強の仕方のアドバイスももらった。

その結果、「偏差値32」の僕は偏差値50を超えるようになっていた。
この上がり幅は、まるで1960年代の日本経済のようだ。

だが、それでも僕にはひとつ問題があった。
「小説分野だけは壊滅的に点数が低い」というものだ。

センター試験には、以下の4つの分野があり、それぞれ50点満点になっている。

  • 評論
  • 小説
  • 古文
  • 漢文

評論は、どちらかというと理系寄り。
コツさえ掴めば、40点は安定して取れるようになった。

漢文もパズルのようなもので、コツを掴んだら40点を取れた。
古文は少し苦手だが、30点前後までは改善した。

問題は、「小説」。

もちろん、予備校で小説の講義も受けた。
ただ、どうやっても点数が伸びない。

不安な気持ちを抱えたまま、センター試験本番。
わかってはいたものの、自己採点した瞬間に絶望した。

小説:11点

小説で頭が真っ白になってから解いた古文も、18点だった。
結果、全科目で唯一国語だけが、平均点を下回ることに。

センター試験で国語の配点が高かった、第一志望の大学を諦めたのは苦い思い出といえる。

僕の人生を変えた「一冊の本との出会い」

そんな僕だから、当然、本など読まない。

小学校のころ、某魔法使いの小説を買ってもらったことがあるけど、3分の1ほど読んで、実家の棚で20年もののホコリをかぶっている。
本を読む時間があれば、1分でもゲームしたいと思っていた。

けれど、大学3年生のときに、その価値観が一気に変わる出来事が起こる。

ビビッとくる感覚

授業もバイトもなく、暇を持て余していたある日。
いつものレンタルビデオ屋に向かった。

大抵はCDを借りて帰っていたけれど、その日はなぜか、となりの書店コーナーに足が向いた。
書店コーナーの入り口には「おすすめの本」と書かれていて、小説やビジネス本、旅行雑誌までが雑然と並んでいる。

「とりあえず、何があるか見てみるか」

そう思い、棚を一周してみた。
すると次の瞬間、好みの女性を見つけたかのような、ビビッとくる感覚に襲われた。

池井戸潤『空飛ぶタイヤ』(講談社文庫 / 実業之日本社文庫)

このタイトルを見た瞬間、なぜか「読んでみたい」と突然思った。
今までの本嫌いが、ウソかのように。湧き上がる不思議な感情だった。

気づいたときには、上・下巻の両方を手にレジへと向かっていた。

ワクワクして家に帰ると、速攻で1ページ目を開いた。
疲れ切って帰宅したお父さんが、缶ビールのプルタブを開けるぐらい早かっただろう。

「…なにこれ!面白い!!」

その日のうちに上巻を読み切り、1週間もたたずして下巻の最後まで読み切った。

「なんで僕は、今まで本嫌いだったのだろう」

相変わらず作者の気持ちはわからないけど、読書の楽しさはこれでもかとわかった。

ハマったらのめり込む性格

僕は生まれながらにして、一度ハマるとのめり込みやすい性格だ。
好きなレースゲームは全クリしたし、何時間やっても飽きない。

こうした性質もあって、池井戸作品もほぼほぼ読破した。
もちろん、『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケット』も含まれている。

そして、そこからは気になった小説はもちろん、自己啓発や心理学の本などを買い漁った。すっからかんだった本棚は文庫本すら入る余地がなくなった。

国語の偏差値が32の後藤少年と出会ったら、どんなリアクションをするだろうか。

余談ではあるが、大学で学んでいた機械工学や自動車の本は、教科書以外ひとつも自分で買っていない。
本にハマるタイミングが早ければ、間違いなく文系学部を志望していたんだろうな。

ハマった理由を考えたら「自分の価値観」に行き着いた

なぜ、ここまで本に夢中になれたのか。
あのときなぜ「空飛ぶタイヤ」を手に取り、池井戸ワールドにのめり込んだのか。

改めて振り返ると、ふたつの理由に行き着いた。

  • 『空飛ぶタイヤ』の題材が大学で学んでいた「車」だったこと
  • 理不尽に立ち向かう姿に惹かれたこと

特に後者が、大きく惹かれた理由のように思う。

半沢直樹のドラマを見た方なら想像できると思うが、上司や元請けなど「上の立場からの理不尽」と戦うストーリーが多い。
『空飛ぶタイヤ』も例外ではなく、運送会社の社長が大手企業に立ち向かっていく物語だ(詳細はネタバレになるのでここでは控えたい)。

そして、僕も理不尽なことや同調圧力が嫌いな人間だ。

  • 上司の言うことは、間違っていても従う
  • 飲み会で上司に媚びへつらう
  • みんながやっているからと、自分の気持ちに嘘をつく

これらの3つとトマトだけは、何があっても好きになれない。

けれど、当時の自分は「嫌い」という感覚を殺し、無理して周囲になじもうとした。
結果、社会人になるとうつ病で休職した。

そんな僕だから、池井戸潤の小説の主人公を「自分の代わりに理不尽に立ち向かう姿」として感情移入したのだろう。

実際、『空飛ぶタイヤ』を読み終えたあと、目から汗が止まらなかった。

あのとき、買うのをためらわなくて良かった

本嫌いだったのに、どうして書店コーナーに足を運んだのか。
嫌いで苦手だった小説をなぜ手に取ったのか。

「当時の自分の気持ちを述べよ」と言われても、「直感」としか答えられないだろう。

けど、それもいいんじゃないか?と僕は思う。
自分の直感って、あながち間違ってないことが多いから。
(じつは「悪い予感」のほうが当たるんだけど、それはまた今度紹介しよう)

新しく何か気になったことがあったら、自分の気持ちに従ってみてほしい。
行きたいと思う場所があれば、足を運んでみてほしい。

そこにはきっと、あたらしい世界への扉が隠れているはずだから。

後藤 迅斗

ライター4年目。メンタル心理カウンセラーとして、120人以上の悩みを解決に導く。うつ病で休職した経験をもとにしたブログ「じぶんぽっく」運営。「社会人の心の守り方」を発信するXは11,000フォロワー超。「Sence of...」では「人生の大きな変化」について自分らしく紡ぎます。 ブログ「じぶんぽっく」:https://www.jibun-pock.com/