街中を歩いていると、突然水をぶっかけられる。
アニメや漫画でならあるかもしれないが、実生活でそのような経験をすることはめったにない。ましてや、それが偶然ではなく意図的であることなど、ほとんどの人は経験しないはずだ。
ぼくは人生で数日間だけ、見ず知らずの人に意図的に水をぶっかけられる体験をした。複数人というか、出会う人のほとんどから水をぶっかけられた。
水鉄砲で放射してくる人もいれば、バケツいっぱいの水を投げつけてくる人、ホースで水をばら撒く人もいた。
タイの祭り「ソンクラーン」、通称、水かけ祭りに参加をしたときのことだ。
水かけ祭り「ソンクラーン」とは
ソンクラーンは、毎年4月12日から15日、旧正月の時期に行われるタイの伝統行事のこと。水かけ祭りという通称どおり、とにかく水をかけ合う。
もともとは新年のお祝いのために家族が集まって、お清めとして仏像や仏塔に水をかけたり、敬意を払う意味で年長者の手に水をかけていた。それが徐々にお祭り的な色彩が強くなり、現在はあらゆる人同士で水をかけ合うようになっている。
またタイの3月から5月は最も暑い時期で、その暑さを水をかけ合うことで和らげるという意味合いもあるらしい。打ち水のものすごい大規模バージョンと言ってもいいかもしれない。
ソンクラーン期間中は、街を歩いているだけで、水をかけられる。水鉄砲が主流だが、家の前に水の入ったドラム缶を置いていて、そこからバケツで水をすくってかけてきたり、家の前までホースを引っ張ってきて水をかけたり。地域によっては、ゾウが鼻から噴射した水をかけてくることもしばしばあるようだ。
とにかくソンクラーン中は、外出するとすぐさま全身ずぶ濡れになる。
決して怒ってはいけないという暗黙のルール
ソンクラーンには暗黙のルールというか、マナーがある。お坊さんや警察官、軍人、お店で物を売っている人、および商品には水をかけてはいけないこと。そして、どんなに水をかけられても怒ってはいけないということだ。
なぜ怒ってはいけないかというと、もともとの意味合いが残っているから。水をかけるという行為には、清めるため、敬意を払うためという意味合いがあるので、それに対して怒るのは筋違いなのだ。
それにタイは“ほほ笑みの国”とも呼ばれている。この由来は政府が観光客を呼び込むために作ったキャッチコピーだという話もあるようだが、タイ人は“マイペンライ(気にしない、大丈夫)”の精神を持っているとも言われ、実際穏やかで優しい人が多いようだ。
だからこそ、見ず知らずの人に突然水をかけられるという常軌を逸したことが起こっても、怒らずに笑い合っていられるのかもしれない。
激戦区!カオサン通り、シーロム通りへ
ぼくは友人ふたりとバンコクでソンクラーンに2日間参加した。バンコクを訪れるのは、人生で2回目。ソンクラーンのことはテレビか何かを通じて知っていて、参加できることにワクワクしていた。
空港に着いて、バンコク市内まで行き、民家の前を歩いていると、さっそく洗礼を受けた。住民と思わしき人々がこちらに向かって水鉄砲を撃ってきたのだ。中には性能の良い水鉄砲を持っている人もいて、かなり濡れた。
「これは荷物を預けないとヤバいね」
友人とそんな話をして、すぐにホテルにチェックインをしに行ったと思う。念の為にと持ってきていた水着に着替え、水鉄砲や防水ケースなどを露店で調達し、いざ激戦区と呼ばれるカオサン通り、シーロム通りへ向かった。
一言で言えば、どちらもとんでもなかった。渋谷スクランブル交差点ぐらい人が密集し、四方八方から水鉄砲を撃たれる。バケツやホースを使う人もいたり、放水車らしきものから水も撒かれていた。
びしょ濡れどころか、シャワーを常時浴びているような、いや、滝にでも打たれているような水量だった。口や鼻、目、耳、毛穴など体中の穴という穴から水が入ってくるような感じがした。
前が見えなくなり、友人ふたりとは途中で逸れてしまったが、ひとりになっても延々と水を浴びまくっていた。ホテルで一度友人たちと合流しようと、トゥクトゥクをつかまえ乗車したのだが、それでも住民たちからの水かけは止まなかった。走っているトゥクトゥク目がけて水をかけてくる猛者もいた。
暗黙のルールを破り、怒りたくなるときもあった
非日常感を味わえ、楽しかったのは間違いないが、「もう辞めろ!!」と思わず怒鳴りそうになったこともあった。それはホテルをチェックアウトし、帰国のために空港へ向かう道中だった。
タクシーをつかまえるために、大通りへ向かっていた。歩いていると、水鉄砲を持った集団がこちらを向きながら笑っている。「NO!」。3人で声を揃えて言う。
けれど、相手はそんなことお構いなしに、水を放射してきた。走って逃げる。相手は追いかけてくる。思わず日本語で「もう止めて!」と叫ぶ。でも、水鉄砲は止まなかった。
いっそのこと怒って制止しようかと思ったが、それはグッと我慢した。そして、「Oh my God!」などと言って、苦笑していた。
結局、びしょびしょになってしまい、空港に行ってから服を着替えた。荷物も一部濡れてしまったけれど、スマホやカメラなど濡れてはいけないものは無事だった。
「ヤバかったね」
友だちと少し呆れながら笑う。ずっと濡れっぱなしだったから疲れもたまっていたのだろう、3人とも機内では爆睡だった。
日本に着いてからは、当たり前だが、道を歩いていて突然水鉄砲を撃たれたり、バケツで水をかけられたりすることはなかった。やっと日常が戻ってきたのだ、と少し安心した。
“ほほ笑みの日”が日本にあったら…
どうやら日本でもソンクラーンを模したイベントが各地で執り行われているようだ。興味があればぜひ参加してみてほしい。
ただソンクラーンにはさまざまな問題もあるようだ。走行中の車やバイクにも水をかけるため、交通事故が起こってしまったり、水風船を投げる人もいたから、ゴミで汚れてしまったり。お祭り騒ぎがそれほど好きではなく、その期間中は外出しないという方も少なくないようだ。万事が“マイペンライ”ではないということだろう。
ぼくは水をかけ合うことも楽しめたが、それよりも見ず知らずの人同士で笑い合えたのが、非常に良かったなと思っている。人種も国籍も言語も信仰も、あらゆる壁がなく、水をかけ合うという行為を通して、笑い合えたこと。それがソンクラーンの魅力なのかもしれないと今では思っている。
水をかけ合うことはしなくても、日本にも“ほほ笑みの日”みたいなものがあったらいいのになと思う。その日は怒りたくなってもグッと我慢し、ほほ笑み合うことが唯一のルール。
会釈だけでもいいし、お互いの同意があるならば、少しぐらい世間話をしたっていい。とにかくその日はみんなが出会う人とほほ笑み合う。そんな日が1年に1回でもあったら、日本の幸福度も多少は上昇するのではないか。
もちろん知らない人同士で「ほほ笑み合うなんて嫌だ」という人もいるだろうし、なんの脈絡も無く、“ほほ笑みの日”を制定するのは難しいかもしれない。けれど、個人的には今日だけは怒らないぞと決めて、何があってもほほ笑むことにする。1年に1回ぐらいはそんなふうに過ごしてみようと思うのだ。