「コロナにかかっちゃって…。明日の取材、代わりに行ってもらえませんか?」
3月下旬の深夜、知り合いのライターさんにピンチヒッターをお願いされた。
SNSで「いいね」をしあう程度で、実際に会ったこともない私にまで連絡してくるのだから、さんざん他を当たった後だろう。スケジュール的には正直ちょっと厳しかったが「困ったときはお互い様」の気持ちで引き受けた。
今から13時間後に、運命の出会いがあるなんて思いもせずに。
いつもの道で、まさかの出会い
深夜の依頼から8時間後には、もう取材現場にいた。その日はとんでもない強風で、いつも以上に花粉が飛び交うなか、屋外での取材。目を開けているのもつらくて「帰ったら即シャワー!」を目標に、なんとか乗り切った。
取材終了後、電車に揺られること1時間半。最寄駅に着いたときには頭の中がシャワーでいっぱいだった。一刻も早く自分を丸洗いして花粉を洗い流すために、早歩きで家に向かう。
駅からの帰り道はいつも同じルート。いつものように角を曲がり、いつもどおり駅裏の小道にさしかかった瞬間、「みゃー!!!」と叫ぶような鳴き声が耳をつんざいた。明らかに幼い、子猫の鳴き声だ。
ハッとして振り返ると、物陰に放置された大きな紙袋が揺れている。慌ててのぞき込むと、布製のキャリーバッグに入れられた2頭の子猫と目が合った。小さなキジトラと黒猫が、こっちを見ている。あまりの可愛さに頭をガーンと殴られたような衝撃を受けた。
瞳の色は、ほんのり青みがかったグレー。おそらくキトンブルーが抜け切っていないから、生後2ヶ月未満だろうか。キトンブルーは子猫特有の瞳の色で、生後2ヶ月を過ぎたころから、ゴールドやグリーンなど本来の瞳の色へと徐々に変化していく。知識としては知っていたけれど実物を見たのは初めてだった。
なぜこんなところに?状況から考えると捨て猫?一旦置いただけで、すぐに戻ってくる?一気にぐるぐると考えながらも、引き続き子猫の可愛さに殴られていると「40分くらい前からそこにいるよ」と、おじいさんが声をかけてきた。
「紙袋を置いていく人を見かけて注意したけど、逃げられてしまった。紙袋を確認すると猫が入っていた」と説明してくれた。猫が苦手なので、距離をとって見守ってくれていたらしい。
置き去りにした人間に腹が立ったが、とにかく一刻も早く、この子たちを安全な場所へ連れていかなくてはと思った。見守っていてくれたことへのお礼を言っておじいさんと別れると、すぐに夫に電話。ここまでの経緯と、連れて帰る旨を伝えて、頼りない造りのキャリーバッグを着ていたコートで包み、できるだけ早く、でも猫たちが怯えないように、家へと急いだ。
砂ぼこりが舞うほどの強い向かい風が吹き荒れていて、歩きづらくてもどかしかった記憶がある。花粉もビュンビュン目に入ってきていたはずだけど、それどころじゃなさすぎて何も気にならなかった。
家に、猫がいる
帰宅すると、夫がペットボトルにお湯を入れたり、ダンボールにタオルを敷いたりして待っていてくれた。電話をしてから10分も経っていないのに。この子たちを一緒に守ろうとしてくれる存在に、とてもホッとした。
とりあえずお水をあげながら、診療中の動物病院を調べて電話をかけた。1軒目は予約でいっぱい、2軒目も「とりあえず元気そうなら、明日にしてほしい」との対応。
たしかに今は元気そうだけど、素人判断で何か起きてからでは遅い。それに子猫をこんなに間近で見るのも20年ぶりくらいで、何を食べる月齢なのかもわからない。とにかく今すぐ診てくれる病院を探し続け、4軒目で受け入れてもらえたので家を飛び出した。
病院に着くと優しい先生と看護師さんが迎えてくれて、みんなで可愛い可愛いと言いながら体や歯をチェック。ちなみにここまで必死すぎて写真を撮っていなかったことに気づいて、慌てて撮ったのがこちら。
たぶん1月の終わりか2月の初めごろの生まれで、もう少しで生後2ヶ月との見立てだった。キジトラが840グラムの男の子で、黒猫が800グラムの女の子。元気いっぱいに、みゃーみゃー鳴きながら診察台をうろちょろしている。
誰からともなく「なんでこんなに可愛い子たちを捨てたんだろうね」という声が上がり、私を含めてみんながうなずいた。
ひと通り診察が終わると、先生は「直前まで、母猫と一緒に室内で暮らしていたと思うよ」と言った。ノミやダニもいなくて元気だし、毛並みもきれい。栄養状態もよくて、体重や歯も月齢相当で人慣れもしているからと。ひどい環境にいたわけではないとわかって、ひとまずホッとした。
予防接種を2週間後に予約して、子猫用のごはんやトイレ用品を買い込んで帰宅。ごはんをあげて、トイレを設置して、ひとまずトレーニングマットとダンボールで猫エリアを構築した。
怒涛の数時間が過ぎて、ようやくひと息ついた瞬間、気づいた。家に、猫がいる。この10年くらい「猫と暮らしたい」が口癖だった私の家に、猫がいる。私が連れてきたんだから当たり前なんだけど、ずっと夢見ていた光景ではあるけれど、だからこそ現実味がなかった。
人生初の、捜査協力
もちろん、出会った瞬間からずっと一緒に暮らすつもりだった。でも、胸を張って「うちの子宣言」をするには、警察などへ届けを出す必要がある。
まず動物愛護センターへ連絡した。迷い猫としての届け出がないかを電話口で調べて、私の情報を伝えて終了。続いて管轄の警察署に電話すると、30分もしないうちにふたりの刑事さんがやってきた。
「猫を確認しに行く」と聞いていたのに、「現場検証と、書類を作成するために、猫と一緒に同行してほしい」と言われて戸惑った。私としては落とし物を届け出るようなイメージでいたが、遺棄した人物は動物愛護法違反になるので、刑事事件として捜査をするのだという。
子猫たちをまた狭いキャリーバッグに入れるのは気が引けるけれど、そういうことなら協力するしかない。車に乗り込み、まずはふたりと出会った場所へ向かった。
現場に着くと正確な場所を確認され、そこにキャリーバッグを紙袋に入れて置くように指示される。状況を再現するためとはいえ、そんなことをするのは胸が潰れそうだった。
置き去りにされていた場所は住宅街方面に繋がる通路で、日中の人通りは激しくないけれど、1時間もあれば数人は通る。現場検証中に「すぐに見つけてもらえそうな場所」だと気づいて、一応少しは愛情があったのかなとも思った。もちろん、だからといって許せない。でも、子猫たちを思うと、そうだったらいいなと思った。
その後は警察に行き、マイクロチップを確認したり、写真を撮ったりするために、子猫たちとは一時的に離れ離れに。その間に私は刑事さんに保護時の状況を詳しく説明して、拾得物届や、我が家で預かるための手続きなどを進めた。
子猫たちと離れていたのは30〜40分くらいだと思う。でも永遠に感じるほど長くて、再会できた瞬間「もう二度と離さない」と誓った。
マイクロチップは入っていなかったので、有力な手がかりは防犯カメラと、目撃者のおじいさんだけ。おじいさんと連絡先を交換しておけばよかったと思いながら、送っていただき帰宅した。
帰ってからの子猫たちは家中を探検して、ごはんをいっぱい食べて、電池が切れたように寝た。
こんなに小さな体で、いろいろなことがあって、すごく怖かっただろうし、すごく疲れたはず。安心して眠る顔が可愛くて健気で、涙が出た。
出会えた喜びと、一生続くモヤモヤ
刑事さんが別れ際に言った「すぐに捕まると思いますよ」の言葉どおり、数日後には犯人が捕まったと連絡があった。いつも意識せずに通っていたあの道には防犯カメラが4台もあって、事件の一部始終を記録してくれていたのだ。
犯人は「猫の動画をSNSで発信して稼ごう」と考えて、某サイトで子猫を譲り受けた。そして「思っていたより毛色が地味で映えない」「ペット不可の家なのに鳴くからバレる」という身勝手な理由で捨てていた。
子猫たちが犯人宅にいたのは一晩だけで、捨てた場所も、通勤ついでに人通りが少ない場所に置いただけ。愛情があって選んだわけではなかった。他にもいろいろと身勝手な主張をしたらしいが、私が知っているのはここまで。罰金がいくらになるかも知らないけれど、そもそも罰金刑なんて生ぬるい。この子たちが感じた不安を思うと、紙袋に入れて知らない場所に捨ててやりたいと思った。
でも、そんなヤツがいたから、私はこの子たちと出会えたのも事実で。犯人を許せない気持ちと、この子たちと出会えた喜びとの矛盾に、一生モヤモヤするんだと思う。
連絡をもらってからは、すぐに警察に向かった。1秒でも早く、名実ともにうちの子になってほしかったから。いろいろ書いて、待って、またいろいろ書いて、やっと手続きが終わったときは心底ホッとした。これで、犯人とはもう関係ない。うちの子として、私の子として、堂々と守れる。
「辛かった日のことなんて忘れるくらい幸せにする」と決意して、ふたりが待つ家へと急いだ。
運命という言葉では、軽すぎる。
取材を引き受けていなければ、私はあの日、絶対に家から出なかった。あの日、もう少し風が弱ければ、きっとどこかで寄り道していた。だから、私以外の人がこの子たちを保護する可能性のほうが高かった。いろいろな選択や偶然が積み重なって、今こうして一緒に暮らせている。
「運命」と言ってしまってもいいのかもしれない。でも、なんだか響きが軽くてしっくりこない。
出会い方は理想的ではなかったけれど、これからの日々はお互いにとって最高のものにしていくつもりだ。そのためにできることは、なんでもしたい。こんなにも愛おしく守るべき存在が、私の人生に現れるとは思わなかった。
私はこれから、この子たちのために食べて寝て働く。
うちの子たちのために、うちの子たちと一緒に、生きていく。