わたしの中で伝説になっているお菓子がある。
レモン味のフィリングの上にメレンゲが載った、レモンパイだ。
ほどよい甘さと爽やかさの、すてきなハーモニー! という味わいだったあのパイ。
あの味をもう一度食べられる日は来るのだろうか。
わたしのこと
- 年齢:28歳
- 性別:女
- 職業:少女漫画ライター
- ライフスタイル:誰かと同居、インドア派、リモートワーク、夜型、外食派
高校時代のフランス旅
高校生のとき、学校の行事の一環でフランスに行く機会に恵まれた。
同年代のフランス人高校生がいるお宅にホームステイをして、実地でフランス語を学んだり観光をしたりする、いわゆる研修旅行である。
思い出いっぱいの一週間。忘れられないことのひとつが、驚異的なおいしさのレモンパイだ。
フランス語の研修旅行で
わたしが通っていた高校は、第2外国語の履修が必須だった。
選択できるのはフランス語、スペイン語、ドイツ語、中国語など。その中からわたしはフランス語を選んでいた。
週に2回、日本人とネイティブの先生の授業で、外国語をいちから学習する。
そして希望者の中から選ばれた生徒たちは、それぞれの言語が母国語の国へ、研修旅行に行くことができる。
高校2年生の時、せっかくならと応募したところ運よくメンバーに入れて、晴れて渡欧の切符を手にしたのだった。
初のモン・サン・ミッシェル
フランスに行くのはそれが最初ではなかった。小学生の頃、家族旅行で訪れたことがあったのだ。
でももちろんフランス語の知識が多少ある状態で行くのは初めてだったし、フランス人家庭にホームステイするのも初めてだった。
そして、ルーヴル美術館やベルサイユ宮殿などとともに、皆で観光するルートに入っていたモン・サン・ミッシェル。
世界遺産にもなっているこの島に行くのも、生まれて初めてのことだった。
おいしすぎたレモンパイ
そのモン・サン・ミッシェルで、出会ってしまったのだ。
ガラスケースの中に澄ましていた質素な菓子をひとくちかじった瞬間、衝撃が走った。
サクサクのパイ生地の中に、甘いけれど甘すぎず、キリリと酸味もあるレモンフィリング。
そのやわらかなクリームにかぶさったメレンゲには、薄茶色の焦げ目がついていて香ばしい。
3種類の味が絶妙に合わさって、最高に美味なレモンパイだった。
パイにまつわるあれこれ
モン・サン・ミッシェルと言えば、一般的にはオムレツが有名だ。
ラ・メール・プラールのふわふわのオムレツはしばしばTVなどにも取り上げられ、多くの人が詰めかける観光名所になっている。
けれど、わたしの心と胃袋を掴んだのはレモンパイだった。
味が絶品だったのはもちろんだけれど、実はパイを食べるシチュエーションにプチドラマがあったことも、理由のひとつになっている。。
ちなみに、どうしてこんな撮り方をしたのか分からないが、レモンパイは写真左側のほうである。
勇気を出して注文
レモンパイに出会ったのは、修道院を皆で観て回った後の、自由時間中のこと。各自島内を散策してよいとのことで、わたしは単独行動をしていた。
あれは多分カフェだったのだろう。
ケーキ類の並べられたショーケース兼レジカウンター。
横には、赤と白のギンガムチェックのテントの下にしつらえられたテラス席。
ふたりの客がそのひとつでお茶をしていた。
わたしもテラスに座って食べたいなあ、と思ったのだった。
何せ、ひとりで外国の店で注文するなんて初めてのことである。相手は金髪のちょっとキツそうな感じのおねえさん。
緊張して、一旦は店先を素通りしかけたものの、勇気を出して一言、ボンジュール。
レモンパイを指差し、シルブプレ(お願いします)と注文した。
おねえさんはサバサバと「それだけでOK?」というようなことを聞いた後、驚きの行動に出たのだった。
渡されたのは…
おひとり様用の小ぶりなパイを紙皿に載せると、なんとおねえさんはメレンゲの上からも紙皿をかぶせ、輪ゴムでぐるぐる巻いて留めた。
そして、何食わぬ顔で「はい」と差し出してきた。
渡されたら受け取るしかない。
「いや、中で食べたいんですけど…」と伝える会話力は当時のわたしになかったし、おねえさんはもう作業を終えてしまっていたのだから。
そもそも先程の言葉も「それだけでOK?」ではなくて「テイクアウト?」だったのかもしれない。
そんなわけで、紙皿に挟んだ状態のパイを抱えて、呆然と立ち尽くす羽目になったのだった。
どこで食べたらいいの?
テラスで食べる気満々だったので、一体どこで食べたらいいのか途方に暮れてしまった。
もしかしたら島内にベンチが散在していたのかもしれないが、パイを買うまでに見掛けた覚えはなかったし、あったとしても気が付かなかったのだろう。
紙皿を持ってうろうろするのも嫌だったので、結局手近な人通りの少なそうな階段に座って食べることにした。
膝の上で紙皿の蓋を外すと、悲しいことにメレンゲが少しえぐれて蓋の方についてしまっていた。不格好な見た目になったパイに、仕方なくそのまま噛り付く。
ひとくちめを飲み込むまで、わたしのテンションはどん底だった。
再三言っているように、そのお味は絶品だったのだが。
あのレモンパイをもう一度
階段に座って紙皿に挟まれた貧相なパイを食べる。
シチュエーションはなんだかなあだったけれど、そんなことは気にならなくなるほどのおいしさだった!
モン・サン・ミッシェルはなかなかひょいっと気軽に行かれる場所ではないけれど、あの味をぜひもう一度食べたいものだ。
完璧なレモンパイを探して
願わくは、2度目は完全体で食べたい。
あのパイは見た目はともかく味がすこぶるよかったのだから、これが見た目も味もよかったらまさにわたしにとっての完璧なレモンパイに違いない。
お菓子屋さんやカフェを通りがかるときそれとなく気にして見ているのだけれど、なかなかコレというレモンパイに出会えない。
甘すぎたり大味だったり、食感がいまいちだったり…。
未だあれに迫るおいしさを見つけられていないので、レモンの季節が来る度に、記憶の中のあのパイの味を思い出す。
食の異文化体験
フランスでは他にもいろいろ食のカルチャーショックを受けた。
初めて見た野菜、アーティチョークは、言われるまで野菜だとも認識できず(花の一種に見えた)どんな味なのか、どうやって食べるのか皆目見当がつかなかった。
日本では滅多に食べる機会のないカエルやエスカルゴ、ウサギ肉が身近にあることにもびっくり。
レモンパイと同じくらいおいしくて記憶に残っているのは、中が空洞になっている四角いパンにぎゅうぎゅうに詰めて食べたキャロットラペ(にんじんのサラダ)だ。
甘くないおかずクレープも、ジンジャーエールも、イスラム料理のクスクスも、フランスで初めて食べた。
次なる旅へ
旅行において、食体験はかなり比重が大きい。
思いもよらない食材や調理法に出会うのはもちろん、食を通してそこの人々の生活に触れられたような気持ちになる。何気ない食事も、のちのちまで記憶に残るものだ。
食に限らず、旅先にはそこでしか味わえないものがある。
それこそが旅の醍醐味で、それがあるから何度でも旅立ちたくなる。
絶品レモンパイとの出会いに感謝しつつ、新しい出会いを探しに、次なる旅に出たい。