婚約破棄されたら、ライターになって、日本酒に恋をした

34歳での婚約破棄を機に、私の本当の人生はスタートしました。

私を縛りつけていたのも、信じていないのも、愛していないのも、他でもない私だったことに気づいた瞬間から、すごいスピードで世界が広がり続けています。

34歳、職なし、資格なし、結婚の予定なし

11年付き合った相手に婚約破棄されたのは、34歳のとき。付き合った当初から同棲していて、お互いの家族・親戚・友人との付き合いも深く、彼の祖父の葬儀には妻として参列するほどの関係性でした。

ついに結婚することになり、準備を進めていたある日。突然、それはもう突然に、別れを切り出されたんです。彼の地元である四国の某県へ移住するために、私は勤めていた会社を辞めて無職状態。そのうえ信じていた婚約者に裏切られて結婚話まで白紙になり、途方に暮れました。

私はずっと、少なくともその11年は、自分の考えや希望よりも、彼や自分の家族、彼の家族が喜んでくれるほうを無意識に選んで生きていました。過去の恋愛でのモラハラ被害、家族からの理不尽な要求と歪んだ愛情表現などの影響もあり、自己肯定感が床スレスレなくらい低かったからだと思います。

いつも「私なんて」と自虐して、「どうせ無理」と諦めて。自分の容姿にも、能力にも、自信を持てる要素なんて何ひとつありませんでした。

パニック障害を発症してからはさらに自信を失い、変化を好まなくなりました。とにかく平穏無事に、自分の手が届く範囲の狭い世界で、このまま流されるように老いさらばえる人生を心から望んでいたんです。

でも、その未来は絶たれてしまいました。

34歳、職なし、資格なし、結婚の予定なし。今思えばまだまだ若いし、そんなに深刻になることもないんですけどね。当時の私は、人生が完全に終わったと思っていました。

心の再生と、思考の覚醒

しばらくは死んでいるのか生きているのかわからないような状態で、ごはんも食べられず、眠れない日々を過ごしました。心に穴が空いたというよりは、心がなくなってしまったみたいな感覚。

それでもなんとかごはんを食べられるくらいに回復したとき、なんだか急に「もう、いろいろどうでもいいな」と思ったんです。なげやりとも少し違う、質のいい諦めというか。

心が一回完全に死んだのか、生まれ変わったみたいに思考がこざっぱりしました。

ここから先は自分ひとりの人生だけを考えればいいんだから、深く考えずにやりたいことはやって、嫌なことからは逃げて生きたっていい。もっと自分のわがままを聞いてあげたい。心から、そう思えたんです。

その瞬間から、目の前の世界がブワーッと勢いよく広がっていくのを感じました。

何もないところにポンと放り出された心細さは、正直に言えばまだ全然ありました。でも、それ以上にしがらみのない自由がこんなに気持ちよくて嬉しいものだと知った衝撃のほうが大きくて。

突然の婚約破棄から、この時点で2ヶ月。「このまま死ぬのかな」と思って過ごした2ヶ月はめちゃくちゃ長く感じたけれど、意外と早く立ち上がれました。

そういえば私、書くことが好きだった

さて、何をしよう。

これまであまりにも自分を後回しにしてきたせいで、何がやりたいのか思いつきません。とりあえず、子どものころの夢を順番に思い出してみることにしました。

幼稚園の先生、ファッションデザイナー、ケーキ屋さん、心理学者…。

残念ながら、どれもやってみたい!と思うほどではありません。でもせっかくなので、ひとまずケーキ屋さんでバイトをしてみました。お菓子づくりも好きだったし。

当時、趣味でつくっていたケーキ

結果から言うとケーキ屋さんでのバイトは研修期間中に辞めました。詳細は割愛しますが、自分の気持ちを尊重すると決めた私にとっては最良の決断だったと思います。

ふたたび無職になり「私が好きなこと・得意なこと」って何かあったかなと、じっくり考えてみたところ、小学生のときに文章を書いたり詩をつくったりするのが大好きだったと思い出したんです。

そういえば勤めていた会社でも社内報の文章を書くのが好きだったし、友人や知人に頼まれて、メールやSNSの文章をしょっちゅう代筆していました。

私の書いた文章で恋愛がうまくいった子や、留学の許可をもらえた子、新規のお客様が増えたお店もあったのだから、「文章を書くこと=好きなこと・得意なこと」に認定してもいいのでは…?

これだ!と思った私は、小学校時代の同級生に「仕事を手伝わせてほしい」とお願いしました。彼女は編集プロダクション上がりでフリーライターとして活躍している人で、以前にも少しだけ仕事を手伝ったことがあったんです。

彼女のアシスタントとしてライターの世界に足を踏み入れた私は、毎日が楽しくてたまりませんでした。

取材に同行したり、クライアントとのやり取りを引き受けたり、記事の一部を代筆してフィードバックをもらったり。「こんな世界があったなんて!」と日々感動しながら、少しずつ経験を積んでいきました。

自分の名義で仕事をいただくようになったのを機に彼女のもとは卒業しましたが、今でも感謝しています。

六本木にて、予想外で完璧な出会い

ライターとして細々とスタートした私が、同時進行でハマりつつあったのがお酒の世界です。

婚約破棄前の私は、家では基本的に飲まないうえに「結婚しているのも同然の身で、頻繁にお酒の席に行くのはよくない」と考えていて、外で飲むのも年に数回程度でした。

今思えば謎思考ですが、お酒の味もそんなに好きではなかったので、我慢しているつもりはなかったんです。

破棄後は新たな交友関係が生まれ、それとともに飲む機会が増え、毎晩のように六本木に通うようになりました(こう書くとめっちゃ遊んでいそうですが、のちに夫となる人が仕事の関係で六本木に住んでいたので行く機会が多かっただけです)。

お酒に対しての苦手意識がなくなり、いろいろな種類のお酒に挑戦した結果、アイラ系のウイスキーやクラフトジンなど、おいしいと思えるものにもたくさん出会えました。

毎日のように通っていたバーにて

その中でも、日本酒との出会いは鮮烈すぎる思い出です。今でこそ日本酒大好きな私ですが、かつては「日本酒なんて臭い、まずい、嫌い」と思っていました。

それがあるとき、たまたま入ったお店ですすめられて、気まぐれで飲んだ日本酒がおいしくておいしくて。ひと目惚れならぬ、ひと飲み惚れでした。

初めて日本酒をおいしいと思えた、衝撃の一杯

「こんな世界があったなんて!」パート2です。音を立てて沼に落下して、そのままハマりました。味、香り、舌に残る余韻。すべてが完璧で、生涯忘れられない出会いになりました。

あのとき日本酒と出会えていなかったらと思うとゾッとするほど、今では日本酒のない人生は考えられません。

日本酒に出会う前をB.N.(before Nihonshu)、後をA.N(after Nihonshu)と設定してもいいくらい、私の人生において大きなターニングポイントになりました。

「私はこれが好きだったんだ」「こういうのは嫌いなんだな」と自分を知る日々は、新鮮な驚きの連続。それまでいかに自分に興味がなくて、ないがしろにしてきたかを痛感する日々でもありました。

好きなものが増えるたびに空っぽだった自分が満たされて、心の枷が外れて、どんどん身軽になっていく感覚はとても心地よかったです。

セルフ呪いは、セルフ解呪できる

婚約破棄がなければ、ライターにはならなかったし、日本酒を飲んでみようとも思わず、あのまま四国の片隅で「私なんて」を繰り返す人生だったと思います。

心が死んでしまうほどのショックを受けて、私はようやく「まわりが望む自分」であろうとしていたことに気づきました。私の声に耳を貸さず、心を抑えつけて「どうせ無理だ」と諦めさせていたのは、私の思考や行動を制限していたのは、他でもない私自身。

私は私に、呪いをかけていたんです。「私なんて」が口癖になって身動きが取れなくなっている方は、私と同じ“セルフ呪い”にかかっているのかもしれません。セルフ呪いは、呪術師が自分であることに気づければ案外簡単に解けます。

「誰がダメって決めたんだっけ」「なんでやらなきゃいけないんだっけ」と自問自答するだけでも、呪いに気づくきっかけになると思います。

生きづらさを感じている方は、よかったら試してみてください!

成澤 綾子

東京生まれ東京育ち。日本酒と漫画と猫を愛するフリーライター&編集者。人物の魅力、事業の意義、プロダクトの価値を伝える取材・インタビュー記事が得意。