萩尾望都さんとSF
前回、少女まんがの神様と呼ばれる萩尾望都さんを取り上げた。
後編では、数ある萩尾作品の中からSFにスポットを当て、ご紹介する。
萩尾さんは、少女まんがにおいて初めて本格的なSFを描いたとも言われており、少女まんがファンに留まらず数多の人をとりこにするその完成度の高さは、現在も高く評価されている。
前回取り上げた『ポーの一族』などの作品とともに、SF作品も読んでみてほしい。
少女まんが×SF
1970年代前半、少女まんがにSFは存在しなかった。
正確に言うと、あるにはあったが、ほとんど読者の支持を得られないまま埋もれていった。また、それらの大方が本格的なSFと呼べるようなものではなかった。
そんな中、かねてよりSFまんがを描きたいと思っていた萩尾望都さん。
1970年代後半にようやく発表の場を得ると、水を得た魚のように立て続けにSF少女まんがを描くようになる。
超能力や宇宙人などSF的な小道具がエッセンス的に登場するだけではない、設定の練られたハードSFは、当時のまんがファンに大きな衝撃を与えた。
「少女はSFなんて読まない」という既成概念が覆され、当時のSFブームも相まって、少女まんが界では一時期、誰しも一度はSF風味の作品を描くのが当たり前になったほどだ。
まさに萩尾望都さんによって“SF少女まんが”というジャンルが切り拓かれたのだ。
彼女の功績は、少女まんがのSFブームが過ぎ去った今でも褪せることなく、燦然と輝いている。
緻密に構築された別世界
萩尾さんのSF作品は、どんなに未来の話でも、地球ではない場所の話でも、ある種のリアリティがある。
まず設定が緻密で、ストーリー展開が巧みだ。
ふわふわした夢物語に終始するのではなく、科学的な知識を作中に自然に取り入れ、作品世界を大きなスケールで捉えている。
そして、親と子の複雑な心模様や人を愛する気持ちといった普遍的な心理を、表情や身ぶり手ぶりによって丁寧に描写している。
このふたつが合わさることで、登場人物たちが本当に生きているような、リアリティある世界が構築されているのだ。
またこれらの特徴は、読者にダイナミックかつ繊細な印象を与え、作品のエンターテインメントとしての完成度を高めている。
余白あるセンチメンタルな雰囲気
一方で、萩尾望都作品の持ち味として前回ご紹介した文学性は、SFジャンルにおいても欠かせない要素だ。
詩的な言葉の数々は、想像の翼を広げるためのガイドであり“隙”のようなもの。
“隙”があることで、バトルやアクションといった派手なエンタメではなく、想像し、夢を見られる少女まんがとしてのSFが成り立つ。
SFに詳しくなくても楽しめる作品づくりを心がけていたという萩尾さんだからこそ、辿り着いた表現方法なのではないだろうか。
彼女のSFを読むといつも、日常と隣り合わせの不思議な空間や、はるかな宇宙に思いを馳せ、切なく甘美な気持ちになる。
SFの代表作

SF少女まんがの先駆者にして大家である萩尾望都さん。
代表作に絞っても数が多いのだが、ここでは特にわたしの思い入れが強い、1970年代の作品をご紹介する。
11人いる!
地球人類が他の惑星を開拓しており、異星人とも交流のある未来。
さまざまな種族が共に学ぶ宇宙大学の入学試験で事件が起こる。「外部と連絡を取れない漂泊中の宇宙船に閉じ込められた10人の乗組員たち」という設定の試験のはずが、なぜか受験生が11人いるのだ。
閉ざされた環境下で青少年たちの精神は次第に疲弊していく。
猜疑心と信頼したい気持ちが交錯し、緊迫感ある展開が続く。
しかも本当の問題は11人いることではなく、実はもっと深刻な問題が試験の裏に隠されていたのだ…。
一体どうなるのかと、最後まで目が離せない。また、共同生活をしているうちに明かされていくキャラクターたちの背景や、移り変わっていく人間関係にも惹きこまれる。
テレビドラマやアニメ映画にもなっており、続編の『続・11人いる!東の地平・西の永遠』もある。
スター・レッド
2276年、地球人の犯罪者の流刑地としての過去を持つ火星では、火星人が地球人に対し憎悪を募らせていた。
地球に隠れ住んでいる火星人、星(セイ)は火星の現状は知らないながらも、「火星に帰りたい」と母星に対する気持ちを募らせている。彼女の郷愁の思いが、周囲を巻き込んで大きな騒動へと繋がっていく。
火星人VS地球人の物語化と思いきや、やがて異星人VS人類の構図へ。切ないラブロマンスも絡んで、ストーリーはどんどん複雑化する。
子どもの頃はハッピーエンドだと思っていたのだが、改めて読んでみるとそう単純な話ではない。
今の地球人や火星人の力ではどうすることもできない大きな問題があり、結局物語のなかでは根本的な解決は見られない。一旦諦めて、いつか未来に対処できる力を身につけてきっと解決しよう、と遠い将来に希望を託すラストになっている。
今を生きるということや、他者との共生、長大な力を前にしてどうふるまうかなど、深く考えさせられる内容だ。
わたしが心を掴まれた作品
世に知られた代表作が素晴らしいのは言わずもがな、ちょっとマイナーな短編にも名作が多い。
わたしが特に好きなのは作品集や文庫の『半神』に収録されているこの2作。
繰り返し読んで血肉になっている作品を、ぜひもっと多くの方と共有したい。
スロー・ダウン
主人公の青年はアルバイトで、ある実験に参加する。
宇宙航行か何かのためだろうか、長期間、感覚を遮断して密室で過ごす実験だ。彼の様子は逐一外部からモニタリングされている。
正気を保てるようあれこれ試すのだが、彼は次第に、極端に刺激のない部屋でゆっくりと死んでゆくような感覚に陥っていく。
そんな死んだような時間のなかで、一瞬生身の人間と接触するというアクシデントが起こる。
その鮮烈なインパクト!
実験が終わって現実に帰って来てからも、夢の中にいるような心地の彼だったが、あの生身の人の感覚はずっと残っている。
何が現実で何が夢なのか、読んでいるうちに自分の感覚がとても不確かなものに思われてくる。
彼にとっての真実である、唯一無二の手は、わたしにも強烈な印象を残していった。
ラーギニー
ある日、不死の研究をしていた研究者シグルが、事故でコンピューターの中に落ちてしまう。
この話は彼がコンピューターの中にいた2ヵ月の間に見ていた、データ世界の夢である。
ラーギニーとは、インドの女性音楽を指す言葉。
七面構成のコンピューターの内部で起きているデジタルな現象が、音楽で世界を成り立たせている7人の女性楽師という民俗・伝承的なイメージに翻案されている。
正直、“コンピューターに落ちる”という現象がどういうことなのか未だに理解できていない。
しかしエキゾチックなイメージが、ラストで滑らかに先端科学へと変換されるのがおもしろく、何度読んでも飽きない魅力を持っている。
わたしに古代の民俗への憧れを植え付けた作品でもある。
※『SFマガジン』に掲載された作品ではあるものの、少女まんがテイストが強い作品だと思うのでこの項で取り上げた。
番外編
最後に、少女まんがではないけれど、どうしてもご紹介したいのがこちら。
萩尾望都さんが光瀬龍さんのSF小説をまんが化し、『週刊少年チャンピオン』にて連載していた作品だ。
百億の昼と千億の夜
遠い未来に、世界の終わりと救いが訪れる。ゆるやかに破滅に向かっていく世界で、救いの予言は人々の心の拠り所になっている。
だが、一体救いとは何なのか?
そして救済計画の裏にいる惑星開発委員会とは何者なのか?
疑問を抱いたギリシャの哲学者・プラトン、釈迦国の太子・シッタータ、戦いに明け暮れる美少女・阿修羅王の3人は、遥かな時を旅して真理の解明を目指す。
神の概念や終末論が軸となっており、仏教やキリスト教の思想が取り入れられた宗教的かつ哲学的な超大作だ。
実はこれが、わたしが初めて読んだ萩尾望都作品だった。
まだ小学生だった当時、話の内容はよく分からなかったけれど、「何かすごいぞ」ととりこになってしまった。 それから何度も読み返し、世界観や人生観に大きく影響を受けた思い出深い1冊だ。
萩尾作品のススメ
生きるとは何か、死とは何か
宇宙の果てには何があるのか
人間として生きるとはどういうことか
萩尾作品を読んでいると、そういう答えの出ない問いがいくつも心に浮かんでくる。
1冊の本から、その中の1ページから、果てしない思索の旅へ出られるのが、彼女の作品の醍醐味だと思う。それが深遠な宇宙や未来に目を向けたSFならなおさらだ。
SFに馴染みがないという方も、これまで少女まんがを読んでこなかった方も、他の作品とは一味違う萩尾望都さんのまんがをぜひ一度読んでみてほしい。