小学生の頃、近所にあったピアノ教室に通っていた。
ピアノ教室と言っても、月に2回、先生のお宅にお邪魔して1時間ほどピアノを弾くだけのお気軽なもの。
ピアノを弾くのも楽しかったけれど、わたしとしてはご近所さんの家に遊びに行くような感覚だった。レッスンもほどほどに、先生宅にあった少女まんがに夢中になっていた。
実家とは違うまんがの世界
先生宅のまんがは、先生の娘さんのものだった。
娘さんはわたしの一回り上くらいの世代。必然的にそのラインナップは、わたしの両親の蔵書で構成された実家の本棚とはまるで違っていた。
少女まんがは、年代によって絵柄もストーリーの傾向も変わる。
普段家で読んでいたテイストは、たとえばファンタジー要素が強かったり、哲学的な内容だったり。
それに対して、先生宅のまんがはもっとポップで親近感のわく内容だった。
自分の生活と地続きにあるような、初めて触れる世界は本当にキラキラと煌めいて見えたものだ。

レッスンが終わったらすぐさま、日によってはレッスンも早く切り上げて、まんがのある部屋に駈けていった。
放っておいたらそこで何時間でも読んでいただろうし、長いシリーズものも多かったので、いつの間にやら何冊かまとめて借りて帰って、次のレッスンまでに読んで返すルーティーンが出来上がっていた。
ピアノの先生宅で教えてもらった作品たち
当時読んだまんがは、名作揃いだったことに加え、「1回しか読めない」特別感があったからか、どの作品も印象深く記憶に残っている。
大人になってから自分で買い揃え、実家のまんがと共にわたしの血肉になっている。
今回はそんな作品群の中から、特にお気に入りだった3作をご紹介しよう。
矢沢あいさんの『天使なんかじゃない』
1990年代前半の『りぼん』に連載されていた作品で、2019年6月時点でシリーズ累計発行部数が1000万部を超えているヒット作。
創立されたばかりでしがらみもなく、生徒の自主性を重んじる自由な校風の高校、私立聖学園。
その第一期生徒会長・リーゼント頭の須藤晃と副会長・明るいムードメーカーの冴島翠を中心に、高校生たちの友情と恋愛模様を描いた青春まんがだ。
3年間の高校生活の間には、楽しいことも悲しいことも盛りだくさん。
翠たちはひとつひとつの出来事に真剣に向き合い、自らの糧にしていく。
作中のここぞという場面で挿入される、キャラクターの切ない心情が綴られたポエムが胸にグサグサ刺さって、何度号泣したことか…。
矢沢作品の真骨頂は、このポエムだろうと思う。
わたしは特に、生徒会役員で翠のよき友人となる、マミリン(麻宮裕子)が大好き。
彼女は、頭はいいが恋愛下手で、そのギャップのある性格や、いじらしい恋心にきゅんきゅんする。
『天使なんかじゃない』の作者の矢沢あいさんは集英社『りぼん』で活躍した後、まんが雑誌に限らずファッション系など多様な分野で活躍。
現在は病気療養中で、代表作のひとつ『NANA -ナナ-』も残念ながら長らく休載している。
先生宅には矢沢さんの『Paradise kiss』もあった。
こちらは少女まんが誌ではなく、ファッション誌『Zipper』に連載されていたこともあり、もっと大人っぽくてイケナイ雰囲気。
ファッションを題材にしていて、オシャレでハイセンスな紙面にときめく内容だ。
ファッションショーや服飾デザインへの憧れはこの作品で形作られたように思う。
『ご近所物語』というファッション系の専門学校の話の続編で、その子供たちが中心となっている作品だが、読んでいなくても『Paradise kiss』だけで十分楽しめた。
『ご近所物語』の方は先生の娘さんの蔵書になかったので、大分後になってから読んだのだ。
きらさんの『まっすぐにいこう』
先日『動物のお医者さん』の記事の最後でも少し触れた、動物もの少女まんがだ。
1991年から『マーガレット』系列で連載されており、既刊26巻と長寿な作品だ。
作者のきらさんのデビュー作で、2000年に第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した。
雑種犬のマメタロウと、飼い主の郁ちゃん(若月郁子)のダブル主人公で、犬たちと高校生たちのそれぞれの生活や恋愛模様が描かれる。
巻を重ねるにつれ、キャラクターたちの背景が深掘りされていって、作品世界の解像度が上がっていく。少しずつ成長していく皆の姿がいじらしいし、どんどん思い入れも強くなる。
最初の頃は見慣れない絵柄に抵抗があったが、キャラクターに愛着がわくにつれ気にならなくなった。
これは『天使なんかじゃない』にも言えることだが、借りて読んでいた当時は小学生だったから、読みながら高校生活や青春への憧れを強く抱いたことを覚えている。
またこの作品では出てくる動物は基本犬なので、犬好きにはたまらないだろう。
特別犬が好きなわけではないわたしでも、様々な犬種が出てきてかわいいなあとほっこりしながら読んでいた。
布浦翼さんの『ぴくぴく仙太郎』

こちらは女性誌『BE・LOVE』に連載されたので少女まんがではないが、主人公とペットのウサギの触れ合いを描いたハートフルな動物まんがだ。
イラストレーターのバクちゃん(香沢麦)の飼っているウサギの仙太郎は、猫のみやちゃんと大の仲良し。基本的にこのひとりと二匹のわちゃわちゃが描かれ、笑いあり涙ありで癒される。
特に仙太郎とみやちゃんの喧嘩という名の戯れのシーンが名物。
「仙太郎キーック」「みやちゃんパーンチ」と二匹の必殺技が応酬する様子を真似して、ごっこ遊びをしたのが懐かしい。
ほのぼのと日常が流れていく一方で、コミックス全37巻という長期連載の中には、捨て犬やペットショップで生き物を無責任に買う人間など、シリアスな内容も多く含まれている。
生き物を飼うということ、自分とは別の命と共に生きていくことについて考えさせられる良作である。
今回ご紹介した作品の中では、この作品だけまだ買い揃えられていない。
だが、大人になってから読むとまた受ける感じが全く違いそうな気がするので、近いうちにぜひ再読したい。
習い事で得た大切なもの
レッスンをおざなりにして、ピアノの生徒としてはダメダメだったが、習い事で得たものは大きかった。
先生の自宅でレッスンが行われていたから、のんびりとアットホームな雰囲気で楽しめたことも、わたしに合っていたのだろう。
何年間も月に2回通い続けた思い出は、宝物のように輝いている。
思いがけないまんがとの出会い
今回ご紹介してきたように、やはり新しいまんがとの出会いが何よりありがたかった。
実家のまんがだけで育っていたら、もしかしたら一生出会うことがなかったかもしれない素敵な作品と出会えて、本当によかった。
ピアノの先生宅のまんがの数々は、わたしの好みの幅を広め感性を豊かにしてくれたと思う。
多分これは娘さんではなく先生ご自身の趣味だろうが、三原順さんの『はみだしっ子』とか一条ゆかりさんの『有閑倶楽部』も最初の方の巻をちょこっと読んだ記憶がある。
これらは随分後になってから通して読んだのだが、少女まんが史に残る名作なので、またいずれ改めてご紹介できたら。
もちろんピアノも少しは弾いていた
まんがに夢中になっていたとは言え、もちろん全くピアノに触っていなかったわけではない。
むしろ鍵盤とペダルを操って旋律を奏でるのは、楽しい行為だった。
きれいな和音にうっとりし、難しい運指に頭を悩ませる。
練習して弾けなかった曲が弾けるようになる達成感も味わった。
自然と楽譜を読めるようになったことも、習い事で得たことのひとつだろう。
今改めて考えると、生の音楽がいつも身近にある生活ってとても贅沢だったのではないだろうか。
ピアノは大して上手く弾けるようにならなかったにしろ、日常的に生の音楽に親しむ習慣を作ってくれたピアノレッスンに感謝している。
先生宅では犬も飼っていた
あと先生宅では犬も飼っていて、この子と遊ぶのもレッスンに行く楽しみのひとつだった。
黒っぽい柴犬で、小学生のわたしにはかなり大きい犬のように見えていた。
当時すでに『動物のお医者さん』を読んでおりシベリアン・ハスキーのチョビが好きだったので、チョビのイメージを重ね合わせて可愛がっていた。
実家では何も生き物を飼っていなかったため、動物と触れ合う貴重な機会だったことは間違いない。
どんな経験も明日の糧になる
ピアノを習いに行ったはずの場所で、他の趣味を楽しんだり、犬と戯れたり…。
習い事の本来の姿ではなかったかもしれないが、それはそれでよい経験だったと思っている。
あなたは子どもの頃にやっていた習い事で、何か特別な思い出はあるだろうか?
もちろん、真剣に習い事に打ち込んで多くのものを得た方もいるだろう。
どこでどんなことに出会うかって、その時になってみないと分からない。
予期せぬ展開が、予定していたより素敵な結果をもたらすことだって往々にしてある。
大切なのは、その時その時で自分が本当にやりたいと思うことをやることではないだろうか。
思い出を振り返りながら、よければ今回ご紹介したまんがも読んでみていただけたら嬉しい。
もしかしたらその読書体験が、あなたにとって忘れられないものになるかもしれない。