まさか自分がマラソン大会に出るなんて!

みなさんこんにちは。
音楽ユニット「鼻ホームランの森」
ギターボーカルの山下です。

さて、みなさん。
日ごろ、運動されてますか?
僕は、正直、、かなりの運動不足です、、!

なかなか、よろしくないな、、と思いつつも、日常的にできている運動と言えば、日々の散歩くらいです。
(散歩は大好きで、以前こんなコラムを書かせて頂いたくらいです)

そんな僕ですが、最近は年に一度ハーフマラソン大会に出る事にしており、その大会の頃に限っては数か月前から準備してちょっとずつ走るようにしています。

マラソン大会に出る。
こんな事は、例えば10年前の自分からすると、想像もつかないような事でした。

①自分という人間、元々の価値観。


僕は上記の通り、「鼻ホームランの森」という音楽ユニットでギターボーカルをやっております。
この名義での活動を始めてからは、割とアコースティックな編成で静かめのしっとりとした曲も演奏したりするのですが、20代半ば頃まではかなり極端に激しい音楽を好んで聞いており、価値観もそういった音楽や文化をベースに形成されておりました。

(自分が見に行くライブは、「タトゥー」を通り越して「和彫り」を入れた方々が多数いらっしゃいました。度胸が無くて自分には入れる事はしませんでしたが、「かっこいいなー!」と思って憧れのまなざしで見ていたものでした)

高校生の頃からそのような文化に触れていた僕は運動が全く得意ではなくて、体育の授業などの際には一生懸命取り組む程に動きが滑稽になってしまい、人に苦笑されるような感じでした。

バスケットボールやサッカー、ラグビー、野球など、運動部で活躍している男子がモテている中、運動がからっきし出来ない且つ、あらゆる面でイケていなかった自分は、僻みに僻んで、「運動」や「スポーツマン」に対して物凄く大きなコンプレックスを感じていました。

今となっては笑い話にできる話ですが、当時は笑えないくらい、本当に真剣に僻んで、こじらせていたと思います。

そんなわけで、「運動」とは、精神的にも肉体的にも、かなり距離を取った人生を約20年に渡り歩んできました。

そんな自分が、しかも30歳を過ぎてから、まさか走る事になるなんて。全く想像できませんでした。

②走り始めたきっかけ。



走り始めたきっかけ。
それは、村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」というエッセイを読んだ事でした。

あまりはっきりと覚えてないのですが、物凄く衝撃を受けた!というわけではなく、なんだかじわじわと、自分も走ってみたいなーという気分になったように記憶しています。

僕は、村上さんの長編小説も好きですが、それよりも短編小説やエッセイの、素朴なお人柄が伝わってくる温かい文章が大好きだったりします。

また、僕は一人っ子なのですが、「一人っ子にしかこの感覚分からないんじゃないかな?」と思うような、深い共感を感じる文章が時折書かれていて、ぐっと心を掴まれました。

今、改めてこちらのエッセイをパラパラとめくっていたところ、「僕は1982年の秋に走り始め」という記載がありました。村上さんは1949年のお生まれだそうなので、33歳頃から走り始められたという事となります。そして、僕は奇遇にも1982年11月生まれ。それで、たしか2016年の12月頃に走り始めたので、当時34歳。

そういう偶然性ってなんだか嬉しくなったりしませんか…!?

「村上さんも30代になってから走り始めたのかー!もしかしたら自分にもできるのかも!走ってみたいかも!」という気持ちになったんだなー!多分!当時の自分は!

もう9年程経過しているので、記憶に残っていない部分が多すぎるのですが、それでも、今振り返ってみると当時自分が感じていた事が見えてくるような気がして、この文章を書いている今、なんだかとても楽しくなっています!

③初めてのマラソン大会に参加するまで。


走ってみたい!と思ったところで、運動に適した衣類を一切持ち合わせていなかったので、とりあえずランニングウェアを買いに行きました。

某古着チェーン店に行って、上下500円のアディダスのシャカシャカなスポーツウェアを買いました。あの安さは、本物だったのかしら…。

そして、ランニングシューズ。
最初は何も分かっておらず、今考えるとあり得ないのですが、当時保有していたアディダスのスニーカー「スタンスミス」はスポーツシューズなのであろうと思い、しばらくはそれを履いて走ってました。革的な素材なのでめちゃくちゃ蒸れます。そしてけっこう重い。間違いなく、走るのには向いていない!

当時、井の頭公園の近くで暮らしていたのですが、その近辺でたびたび顔を合わせていた、とある若手アーティスト(芸術家)の方に「スタンスミスは恐らくランニング用じゃないですね(苦笑)」と言ってもらって、それで初めてランニングシューズとはどんなものなのかを調べる事になりました。

(その後、ソワソワしながら、慣れないスポーツショップに行き、これまたアディダスの8000円くらいのランニングシューズを買いました)

こんな恥ずかしい話、わざわざ書かなくても良いと思いつつも、書いているとだんだん楽しくなってきます。

そういえば、ウェアやシューズの買い物に行く事もそうなのですが、いつも見ている景色の中を徒歩より速いスピードで通り過ぎる事、時間を測ってみる事、ちょっとずつ走る距離を延ばしてみる事、行った事が無いところに自分の足で行ってみる事など、ありとあらゆる事が新鮮で、楽しかったなー!という事を思い出してきました。

ある時、なんだか象徴的に感じた事があって、それはすごく記憶に残っています。
走っていると、なんだか視野がパーッと広がった瞬間があって。
「実生活でもこんな風に、視野が広がる瞬間がくる気がするなー!」って、そんな風に感じたんです。

その後、僕は当時の職場で昇進する事になり、従来よりも色んな側面から物事を考えざるを得ない状況となり、結果的に視野が広がる事になったのです。

あまり因果関係は分からず、なんだか不思議な話ですが、印象に残っています。

そんなこんなで、走る事に楽しさを感じて、日々走っているとだんだんこんな気持ちになってくるのです。

「マラソン大会に出てみたいなー!」

それで、自然とネットでマラソン大会の情報を検索する事になるのですが、大概のマラソン大会は開催日よりもかなり前にエントリー締め切りになるので、出たいと思ってもすぐには出られないのです。

それで随分とウズウズする期間を経て、最初は武蔵野市民マラソンに参加しました。
2017年3月、たしか6キロのコースだったと思います。

これが、とっても楽しかったのです。非日常!
沿道の方々に応援の声を頂きながら、たくさんの人達と一緒に、真剣に走る。抜いたり抜かれたりするのも、興奮します。

ドハマりしました。

④マラソン大会と旅を組み合わせてみる。


初めてのマラソン大会が終わった後、せっかくのこのモチベーションや体力を維持するためにも、次のマラソン大会の参加を決めたい!という気持ちになりました。

上記の通り、出たくてもなかなかすぐには出られない、マラソン大会。春を過ぎると近隣で開催される大会もあまり無くなってしまいます。そんな中で見つけたのが、山中湖で開催される山中湖ロードレース!

上記の村上さんのエッセイの中にもその大会名が登場していたので、俄然出てみたい気持ちが高まりました。

遠いけど、旅とマラソン大会を組み合わせるとめっちゃ楽しそうじゃない!?
とテンション爆上がりでエントリー!

大会前日、朝から高速バスに乗って山中湖へ。
この日はまるまる観光。湖のほとりで白鳥と遊んだり、湖の周りを自転車で回ってみたり、ほうとうを食べたり、夜は美味しいお酒を飲んだり。思う存分旅を満喫しました。


そして当日。約1万人も参加する非常に大規模な大会でお祭りのような雰囲気!
ハーフマラソン、約21キロという長距離の走行はこの日が初めてだったのですが、最高に気持ちの良い景色の中を駆け抜け、無事ゴールできました!

⑤さらに遠くへ。

山中湖ロードレース参加後、さらに上がるモチベーション。エスカレート。

前年に初めての沖縄旅行で沖縄にドハマりしていた事もあり、勢い余って2017年10月開催の宮古島マラソンにもエントリー!

この時の旅は、旅自体が色々エピソード盛りだくさんでした。抜粋すると…
  • 10月なのに台風直撃。
  • 台風とは関係なく、行きの飛行機が羽田出発後、燃料関連の理由で羽田に引き返し。
  • 紆余曲折あって5時間遅れで宮古島到着。
  • そのお詫びで、物凄く面白い物を航空会社から頂く。
  • 宮古島の地域新聞のマラソン大会の記事に山下が写りこんでおり、ネットでそれを見た職場の上司からツッコミが入る。

などなど。

台風の影響で、大会当日まで本当に開催されるのか不安だったのですが、当日は風もある程度おさまり、無事開催。伊良部大橋という、全長3540メートルの長さと、とてつもない海の綺麗さを誇る橋を渡るコースで、絶景を満喫しました。

10月といえども流石の宮古島、かなり暑かったですが、こんな素晴らしい絶景に、苦しさは吹っ飛びます。

給水所のマンゴージュース、バナナ、水。マンゴージュースが最高に美味でした。

マラソン大会後のお楽しみ会のくじ引きで、まさかの特別賞当選!ジンベエジェットの模型を頂きました。大切な宝物で、今でも部屋に飾ってあります。

⑥さらに高まるマラソン熱、そしてその果てに。



宮古島マラソン後、熱がどんどんエスカレートし、冬から春頃にかけて毎月マラソン大会に参加するような時期もありました。

初めてのフルマラソンで、湘南国際マラソン、三浦半島のハーフマラソンや、板橋のフルマラソン、霞ヶ浦のフルマラソンなどなど。

フ、フ、フ、フルマラソン…!?
42.195キロ…!?
想像を絶する距離…!!!!
今考えても信じられないな…。
自分がそんな距離を走っただなんて…。

そして2020年、東京マラソンの抽選に当選!夢みたい!
と思っていたら、なんとコロナで、一般の部が開催されず(エリートレースのみ開催)!

抽選結果の連絡が2019/9に来ていたのですが、その時にはまさか開催されないなんて、当然の事ながら想像もつかず…。そして、出走権移行で2021年大会にエントリーするも結局2021年大会もコロナで開催されず、もう一度出走権移行…。
そんな紆余曲折を経て2022年3月にようやく、待ちに待った東京マラソン開催!

当日のスタート時には、またこんな大規模なマラソン大会が開催される世の中に戻って本当に良かったー!!!と感動もひとしおでした。心の中で号泣。

そんな感動も溢れる特別な東京マラソン。もちろん最後まで楽しんで走りたいところ。なのに。なんと8キロ地点から膝の痛みが出て走れなくなる事態に…!痛みが出るタイミングがあまりにも早すぎる!

残りの距離、約34キロ。

走れないとなると急に襲い掛かってくる、圧倒的な距離の威圧感。絶望感。そして各ポイントで立ち塞がる関門の壁たち。


こんな風に、当日撮影していた写真は関門の写真だらけ!

延々と、ひとつひとつの関門をギリギリで、本当にギリギリ間一髪でくぐり抜けていく…。途中、何度も「もう無理だー!」とあきらめかけましたが、でも、あきらめなかった!

約34キロ、歩き切ってどうにかこうにか無事ゴール!
本当はもちろん走り切りたかったのですが、関門くぐり抜けレースというのも、これはこれで非っ常に燃えました。
こんな感動は、なかなか味わえません!


こんな非常に大きな感動を味わいながらも、膝の痛みで楽しく走り切れないような大会参加が続いてしまいまして。

走るモチベーションが、急降下してしまいました、、。

⑦最近の事、これからの事。



こんな経緯を経て今に至るのですが、冒頭に書いた通り、今でも年に一回はハーフマラソン大会への参加を続けています。直近で参加した、今年2月開催の、みさとシティハーフマラソン大会の模様を少しレポートしてみたいと思います。

ちなみに、こちらの大会は今僕が暮らしている埼玉県三郷市での開催となりまして。
大好きな三郷市、せっかく暮らしているところで開催されているのだから、出ないなんてもったいない!という気持ちもモチベーションとなっています。

それでは以下、レポートです。

2025/2/9 8:50 スタート!
3000人以上の参加者が集まるスタート地点。なかなか圧巻の光景です。
普段からよく利用するスーパーの前を通ります。大胆に車道を走れるのもマラソン大会の醍醐味。非日常感満喫。
江戸川土手沿いの道を走ります。また、先頭集団は既に土手の上を走っています。
土手沿いの道から、土手の上へ。とても眺めがよく、良い景色が広がります。ここで感じられる景色の良さが、この大会の大きな魅力の一つと言えると思います。この日は富士山も見えていました。
こちらの大会にも、関門はあります。実はまた8キロくらいから膝の違和感を感じていたものの、無事通過。
残り1キロ地点で、なかなかにハードな上り坂が登場します。あとちょっと、だけどしんどい、、!
ゴールの瞬間スマホの電池が切れたー!というわけで、完走証の写真です。無事完走!

今回、走るにあたって、昨年のタイムを超えるというのが一つの目標となっていたのですが、昨年のタイムが2:34だったので、どうにか超える事ができました!

(実際には2:34というのは一昨年のタイムであったという事が後々判明するのですが、その話はスルーします!)

膝の痛みにより、途中から歩いたり走ったりを繰り返しており、あきらめの気持ちも湧いたりしたのですが、昨年の自分に負けたくない!という思いと、そして沿道のみなさんの応援から貰った力で、達成できました。

ゴール付近ではMCの方が「あきらめなかった自分に拍手!」といった事をマイクで仰ってたのですが、ズタボロの身体と心に、とても沁みました。
また、目の前でゴールしたカップルが抱き合っていて、とても素敵で。なんだか泣けてきました。

今回走っていて、本当に沿道のみなさんの笑顔や応援に励まされて、僕はとても嬉しくて嬉しくて、身体がしんどくてもずーっと笑顔になっていました。

それで、こんな風に思ったんです。
「マラソン大会って、巨大な、笑顔の交換会だなー!」

たくさんの方々の努力や協力によって成り立っている奇跡のお祭り、マラソン大会。
参加できる事を、とてもとてもありがたく、幸せに思います。
今回も、参加できて本当に良かった!!!

また、鞭打った身体にこちら。
温泉、そしてビール!
これがですね、とてつもない気持ち良さ&美味しさで、まさしく、天国。

天国って三郷にあったんだー!!!
超意外ー!!!

でもこの日確かに、三郷にあったんです!!!

そして、これからの話。

ちょっとしたご縁があって、地域のランニングサークルに参加する事になりました。
知らない方々の中に入っていく事はとても勇気が要る事ですが、楽しみでもあります。

40代になってもまだまだ、新しい出会いや、未知の体験が待っている。
うまくいく事ばかりではないですが、これからも、やってみたいと思った事はやってみて、ワクワクしながら生きていたいなと、強く思います。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました!
ごきげんよう!

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筆者:佐藤純平さん

山下 健太

音楽ユニット「鼻ホームランの森」のギター&ボーカル。作詞作曲や、自主レーベル「鼻ちょうちんRECORDS」での音源制作等も担当。井の頭公園アートマーケッツ所属。お酒、料理、散歩、サイクリング、海水浴など好きな事がたくさん。基本的には端っこで静かに佇んでます。