ピクニックのススメ

一番の“贅沢”は、芝生の上で涼しい風に吹かれながら、空をぼんやり眺めること。最近、そう確信した。

外で気持ちよく過ごせる時期はそう長くはないから、この秋はカレンダーをピクニックの予定で埋め尽くしたい。

レジャーシートに、仰向けに横たわる。私の身体によじ登ろうとする0歳の息子を片手で支えながら、大きく息を吸う。吐く。視線の先で雲がのんびりと流れていく。

「ピクニックをしよう」

長い長い夏が、ようやく去った。

今年は梅雨の記憶もなく、6月からとにかく暑かった。0歳児を連れて炎天下を歩き回る度胸もなく、家に閉じこもってばかりいた。外はあんなに晴れているのに、と恨めしい気持ちで。

このままずっと夏が続くんじゃないかとすら疑い始めたある日、突然涼しい風が吹いた。

「秋が来たよ。公園でピクニックをしよう」

夫と息子と3人で、そわそわしながら家を出た。大した荷物は持っていない。大人が読む本。息子が遊べるおもちゃ。家で淹れたコーヒーはステンレスのボトルに。

スーパーに立ち寄って、レジャーシートを買った。売り場には、小さな青いレジャーシートと大きな緑色のレジャーシートの2種類しかなく、迷わず大きい方を選んだ。サイズは3畳。息子が動き回るのには十分な大きさだ。

休日だから混んでいるかと思ったけれど、公園の芝生には意外と人がいなかった。柄も何もない、そっけないレジャーシートを大きく広げる。今から、ここが私たちのテリトリー。

息子をベビーカーから降ろし、シートの上に横たえる。彼はくるりとうつ伏せになり、おもむろにずり這いを始めた。シートが作る波をわしゃわしゃと越えていく。

不思議なことに、芝生の上には出ていかない。シートの上だけをくるくると動き回る。時折、おずおずと芝に手を伸ばすけれど、すぐに引っ込めてしまう。どうやら、見えない壁があるようだ。

「こんなに広いんだから、芝生の上をずんずん進んで行ったらいいのに」

そう言いながら、親もシートの上でくつろぐ構え。寝転がって、本を開く。草をいじっていた息子が振り返り、寄ってきて夫のお腹によじ登ろうとする。これは紛れもなく、いつも家で見ている風景。

でも、音が違う。鳥や虫が賑やかに鳴いている。匂いが違う。土の匂いに草の匂い。広い空の下、遠くから吹いてきた風が、ちっぽけな私を撫でて去っていく。

毎日飲んでいるはずのコーヒーも、なんだかいつもと違う味。

「家でしていることを外でするだけで、こんなに楽しいんだね」

隣で読書をしている夫に、そう言ってみた。夫は「そうだよ」とだけ答えて、本の世界に戻っていった。

ふたりのピクニック

この日を境に、私は息子とふたりの日も公園に通うようになった。ピクニック、と言うと少し大げさかもしれないけれど、レジャーシートを敷き、その上で食事をする。

食べるものは、いろいろだ。お気に入りのパン屋さんでサンドイッチを買っていくこともあれば、公園の売店でお弁当を買うこともある。お昼ごはんを家で済ませた日は、コンビニに寄って“じゃがりこ細いやつ”を買う。ノンアルコールビールも買う。

ふたりで過ごすにしては大きすぎるシートを、わさわさと広げる。私の身体でつかまり立ちをしようとする息子をシートに転がし、突進をすいすいと避けながら食事をとる。

息子はだんだんと芝に慣れて、突然シートの外に飛び出していくようになった。普段はずり這いしかしないのだけれど、芝生の上では不思議とハイハイが多くなる。

突然止まって、手元をじっと見ているときは危ない。大抵、落ち葉を見つけて食べようとしている。慌てて靴下のまま走り寄って、落ち葉を取り上げたことは数知れず。

家に閉じこもり、ひとりで息子と遊んでいると、夕方頃に気分が落ち込むことがある。なぜだろう。息子の一挙手一投足が可愛くて面白くて、幸せな時間のはずなのに。幸せだからこそ、夜がきて1日が終わってしまうのが怖いのかもしれない。この日々は、いつまでも続くものではないから。

外で過ごしていると、そんな時間の流れを心地よく受け止めることができる。私たちを覆っていた木陰の位置が少しずつ変わり、空がうっすらと赤く色づいて、虫がコロコロと鳴きだす。「そろそろ帰ろう」と息子に声をかけながら、夕暮れ時の美しさを胸いっぱいに吸い込む。

おわりに

かつて、消費活動が私の幸せだった。より自由に消費をするために、これまで必死に働いてきた。

けれど、最近思う。自然の中に身を置いて、時間とともに変わる景色や音、匂いを感じる1日がいかに稀少であるか、と。

誰かと喋ったり、ぼんやりしたり、本を読んだり。芝生の上でしていることは、家でしていることと大差ない。大してお金もかからない。

それなのに、時々胸がいっぱいになる。冷たい風が吹いてきたとき。ヒグラシが鳴き始めたとき。どんぐりが木から落ちてきたとき。そんな瞬間に。

幸せの形はいろいろだ。そんな当たり前のことに、ようやく気づけたような気がしている。

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東樹詩織

食や旅の領域でPR・ブランディングに携わる傍ら、執筆活動を行う。アートと本にのめり込み、「as human footprints」名義でZINE出版を開始。写真と動画の撮影・編集も。最近の関心事は、アジア各国のカルチャー、映画、海外文学、批評、3DCG、AI。キャンプ好きが高じて、東京↔︎信州・上田で2拠点生活中。