取材を終えた帰り道。
カーラジオから流れてきた杉山清貴&オメガトライブの「サイレンスがいっぱい」。
わからない方はお若いってことです。
時を経て、再び輝き出したシティポップには、大人になった今だからこそわかる世界があった。
この曲がリリースされた1985年当時、わたしはローティーンだった。
恋愛がどんなにすてきなことかも、ときに痛みを伴うかも知らない子どもだったはずなのに、
杉山清貴のハイトーンボイスを聞いた途端、バブルの狭間だった20代のあの頃に引き戻された気がした。
シティポップ。
令和の時代、再び注目を集めているこのジャンルの定義は曖昧だ。
一般的には1980年代に流行した“都会派ポップス”と解釈されているけれど、70年代から90年代までを指す場合もある。
音楽の解釈が人それぞれあるように、要は、適当でいいのだ。
わたしにとってのシティポップは、“大人の音楽”。
大人になった今、改めて聴いてみると、あの頃のわたしに出会うことができた。
Mr.サマータイム/サーカス
日本を代表するコーラス・ポップ・グループ「サーカス」が1978年にリリースしたグループ最大のヒット曲、「Mr.サマータイム」。
フランスのミッシェル・フュガン&ル・ビッグ・バザールが1972年に発表した「Une Belle Histoire」に日本語歌詞をつけてカバーしたもので、女性が恋人(もしくは夫)を裏切ったことへの後悔を歌っている。
この曲をちゃんと知ったきっかけは、サーカス結成から40年を記念して新旧のメンバーが一堂に会し、「Mr.サマータイム 2018」として再リリースしたことにある。
浮気、もしくは不倫の後悔を歌った曲が、いまになってわたしの心をつかんで離さないのは、
わたしが同じ経験をしたからではなく、いま、穏やかで、たおやかな日々を送っているから。
背徳感への憧れは、安全な場所にいるからこそ生まれる感情であり、そこに、現実的な痛みはない。なのに、なんだか切ない。
母の鼻歌越しに「Mr.サマータイム」を聞いていた子どもだったわたしへ。
その音程、かなりずれているから真似しないように。
さよなら夏の日/山下達郎
言わずと知れた夏の名曲「さよなら夏の日」は、1991年に発売された山下達郎の代表曲のひとつ。
あの頃、高校生だったわたしにはじめて“彼”という存在ができ、見るものすべてがバラ色に輝いていた。そらもう、眩しいほどに。
文字通り、恋に恋していたあの頃。そして、恋って楽しいだけじゃないことを知った。知ったような気がした。
あれから四半世紀以上月日が流れたというのに、
帰り道に一緒に見た空、デートに着たワンピースの柄は今でも色褪せることなく、記憶の片隅にある。
お別れしたのには理由があったはず。でも、記憶に残っているのは甘酸っぱい思い出だけ。
おでこのニキビが最大の敵だったあの頃のわたしへ。
案ずるな。
やがてシミ、シワに悩むことに比べたらそんなもん、鼻くそ程度だ。
そして僕は途方に暮れる/大沢誉志幸
この曲を聞いて無性にカップヌードルが食べたくなったあなた、きっと同世代。
大沢誉志幸が1984年にリリースしたこの楽曲は、カップヌードルのCMソングとしてヒット。
当時、小学生だったわたし。
まるで小説の一節のようなタイトルがとても新鮮に感じたことを覚えている。
“途方に暮れる”という感情は、この曲のリリースからだいぶ経った、20代になってから経験した。
文字通り、途方に暮れるしかなかったその経験は、思い出すのはちょっと苦しい。
今もときどき思うのは、もっと上手に生きられたかもしれないってこと。
好きな人に大好きなこと、もっと一緒にいたいことを伝えるのが恥ずかしくて、わざと気のないふりをしてみたり。
駆け引きの意味を履き違えていたわたしは、しあわせを自ら手放すような、理解不能な言動ばかりとっていた。そこにはしょうもないプライドと見栄しかなかった。
気付いたときはもう目の前に大好きな人はいなくて、途方に暮れるしかなかった。
今ならわかる。
そんな見栄は、鼻くそ以下ってこと。
眉毛のかたちがすべてだったあの頃のわたしへ。
あんまり抜きすぎるでない。
細眉ブームはすぐに去る。
若者のすべて/フジファブリック
最後に、2000年代リリースの夏の名曲を。
2007年の発売時、わたしは妻となり、母となっていた。
志村正彦の素朴な歌声と、だれかと観た花火の記憶。
戻ることのない日々が急に愛しくなって、妻でも母でない自分に戻りたくなったことを覚えている。
ボーカルの志村くんが急逝したのは2009年。その後も同じメンバーでバンドを継続してくれたことが嬉しかった。ずっと一緒に、年を重ねていくと思っていた。
そんなフジファブリックが2025年2月に解散することになった。
“ひとつの時代が終わった”なんて、言い尽くされた言葉を、解散のニュースを知ったときに口に出していた。
戻れない日々には、本当に戻ることはできない現実を前に、「大人になれ」と、言われたような気がした。
シティポップは“答え合わせ”
世の中をなめくさっていた20代のわたしは、
50代なんておばあちゃん、楽しいことなんてなにもない。ああ。歳はとりたくないもんだ。
なんて思っていた。
もし、タイムマシーンがあったら、当時のわたしにスリングブレイドを一発、いや二発かましてやりたい。
20代に思い描いた人生設計は、小坂明子の「あなた」よろしく、
“元気に遊ぶ坊やがいて、庭には真っ赤な薔薇と白いパンジーが咲き誇り、子犬の横にはわたしのことが大好きで、ごはんたくさん食べる男の人がいてほしい”
だった。
現実は、ムスメをひとり授かり、子犬ではなく猫が傍にいて、
わたしのことが大好きであろうオットと、たわいもない話をすることにしあわせを感じる日々。
あの頃描いていた人生設計を思うと
“20歳を過ぎれば大人”
なんて、半ば強制的に大人の階段を登らされるのは酷なように思う。
大人ってなんだろう。
盗んだバイクで走り出さないことだろうか?
校舎の窓ガラスを壊してまわらないことだろうか?
年齢的には大人でも、経済的に独立してても、それが大人かどうかはわからない。
半世紀生きても、わからない。
ともすれば、
あの頃のわたしから、今のわたしへの問いかけ、答え合わせが、わたしにとってのシティポップなのかもしれない。
答えは間違っているかもしれない。
思い描いた大人にはなれなかったかもしれない。
あの頃の私へに言えることはただひとつ。
いつの時代も、わたしはわたしなりに今を、精一杯生きています。