こうやって、料理と付き合ってきた

“料理”って不思議だ。日々やらなければならない家事である一方で、暮らしに潤いを与える娯楽のひとつにもなり得る。

私と料理の距離感は、周期的に変化している。レシピ本を片手に、キッチンに立つのが楽しくてたまらない時期。何ヶ月も包丁を握らず、コンビニ弁当やレトルト食品ばかりを食べている時期。近づいたり、遠ざかったり。

いずれにせよ、無理をせずに料理と向き合うことが大事だ。やりたくなければやらなくてもいい。手抜きだっていい。心が求めたら、本気で楽しめばいい。

“彼ごはん”は失敗続き

自分で料理をし始めたのは、2009年、大学生の頃だ。当時はそれほど食に興味がなかったが、手料理を人に食べさせてあげたい、と思ったことがきっかけだった。バイブルは、フードコーディネーター・SHIORIさんの『作ってあげたい彼ごはん』だ。

懐かしのmixiに、当時作った料理の写真が何枚か残っている。そのほとんどが、失敗作だった。初めてのきんぴらごぼうは、形が不揃いでなぜか焦げている。これ以降、未だに再挑戦はしていない。

異様に味の濃かったチンジャオロースも思い出深い。“鶏ガラスープ”を大さじ4杯入れるところを、“鶏ガラスープの素”を大さじ4杯入れてしまったのだ。

レシピに書かれている調味料を都度買い足していくため、キッチンが調味料だらけになった。きっと、料理初心者あるあるだろう。そのほとんどは、大して使われることがないまま賞味期限を迎えてしまう。甜麺醤や黒酢、ナンプラーなど…。まだ、「あるものを使って料理をする」ことができなかった頃の、ほろ苦い思い出だ。

一人暮らしで猛特訓

社会人2年目の2013年、一人暮らしを始めることにした。実家を出ることにしたきっかけのひとつは、自分だけのキッチンを持ちたかったこと。キッチンには、その家で主に料理をする人が作り上げたルールがある。実家では、キッチンの主は母親だ。好きなように食材や調味料、調理道具を増やしていくには、自分だけのキッチンが要る。

引っ越し資金を貯めるため、自分で作ったお弁当を職場で食べるようになった。細切りのピーマンとツナを醤油で炒めたような質素なおかずばかりで、量もかなり少なかったが、手作りのものを食べているという満足感があった。

節約の甲斐あって引っ越しを叶え、ようやく自分だけのキッチンを持てたときの感動はひとしおだった。ブレンダーや圧力鍋を買ったり、燻製やスパイスカレー作りに熱中したり。作れる料理が増えていくことの喜びを最も感じていたのは、この頃だったかもしれない。

記憶に残っているのは、アジとの格闘だ。アジのなめろうを作ろうと思い立ち、初めて丸のままのアジを買った。YouTube動画を参考にしながら、不器用な手つきでさばいていく。小骨を取るのがとにかく面倒で、さばき終えた頃にはへとへとだった。目の前にはボロボロになったアジの身が。どうせ叩いてしまうからいいのだけれど。

今は、なめろうを作りたいときはお刺身を買ってくる。快適な食生活のためには、要所要所で手を抜くことも必要だ。

料理が息抜きに

2014年の末に、今の夫と二人暮らしを始めた。新居には広いカウンターキッチンがあり、コンロも3口に。ここで、彼のためにたくさん料理を作るぞ、と気合いが入った。

ところが、平日の夜は夫が会食で不在のことが多く、休日も二人で外食ばかり。仕事も次第に忙しくなり、昼夜コンビニ飯という日も珍しくなくなった。

一方で、食への興味は日に日に増していた。書店の、食に関する本がある一角がお気に入りで、自宅の本棚にはレシピ本が続々と増えていった。

この頃の料理は、息抜きであり、娯楽だった。とある休日、夫と一から鶏白湯ラーメンを作ったことが思い出深い。料理道具が揃う問屋街、“かっぱ橋道具街”で寸胴などを買い込み、6時間ほどかけて鶏を煮込んだ。1時間以上もかかった大量のモミジ(鶏の手)の爪切り作業はトラウマものだ。

自分たちで打った麺は粉っぽくておいしくなかったが、時間をかけて作ったスープは濃厚で味わい深く、記憶に残る1杯になった。

コロナ禍が変えたキッチン

大変な日々が続いたコロナ禍だが、我が家にとってはよい影響が一つあった。それは、キッチンに立つことなんてほぼなかった夫が、料理をしてくれるようになったことだ。

仕事柄、コロナ禍では激務が続いたが、そんな私を支えてくれたのは、在宅ワークになり会食もなくなった夫が作るパスタだった。これが、とにかくおいしいのだ。「2000円、ううん、3000円は払える!」などと感動していたら、次第に夫がキッチンに立つ回数は多くなっていった。

当時の私は、生産者さんから食材を直接購入できる“産直EC”の運営会社で働いており、自社サービスを使って食材を大量に取り寄せていた。旬の野菜がぎっしり詰まった段ボールを前に、今夜何を作ろうかと二人で思案する時間は贅沢だ。漁師さんから、丸のままのお魚もたくさん届いた。真鯛やカレイ、ヒラメなど。YouTube動画を参考にしながら、交代でさばいた日々が懐かしい。

そんな生活を送っているうちに、いつしかレシピ本を開かなくなった。あるもので作る、シンプルに食べる、が我が家の定番に。旬の食材は、大して手を加えなくても、とってもおいしいのだ。

生活に馴染む料理

その後、転職がきっかけで忙しくなり、レトルト食品の便利さに目覚めてしまった。手間がかからず食費も抑えられるなんて、一石二鳥だ。レンチンご飯とレトルトカレーがあれば、5分もかけずに食事の準備ができる。

とはいっても、レトルト食品が続くと、なんとなく気分が落ち込む。少し頑張ってご飯を炊き、納豆ご飯だけでも準備できると、幸せな気持ちに包まれるのだった。

最近は、できる限り手作りの割合を増やしている。夫婦揃って節約志向に変わったので、外食は減らし、自炊がメインだ。冷蔵庫の中のものを使い切れるように献立を考え、買い物リストを作り、足りない食材だけを買いに行く。リストにないものは買わないことが、節約のコツだ。

レシピは、Instagramで探すことが多い。醤油や塩、お酢やみりんなど、シンプルな調味料だけでもさまざまな料理を作れることに驚いた。

今では、夫がキッチンの主だ。共働きの時代、上手に料理を作れる方がキッチンに立つのは理にかなっていると思う。私はというと、夫に作ってほしいレシピをInstagramで探すという、おいしい役割を担っている。

彼の作るトマトパスタは、私の大好物だ。しっかりと酸味が効いていて、一口食べれば笑顔になれる。お返しとして、そろそろ私も料理を作ってあげたいな、と思っている。

料理との付き合い方に正解はない

大学生の頃、初めてレシピ本を買ってから15年。料理との付き合い方は、さまざまに変化してきた。ぐっと近づくことも、距離を置くこともあったが、大切なのは、そのときに心地よいと感じる方法で食を楽しむことだと思う。

これからもきっと、料理との付き合い方は変化していくはずだ。どのように変わったとしても、作ること、食べること、食べてもらうこと、そんな料理の喜びを忘れずにいたい。

東樹詩織

食や旅の領域でPR・ブランディングに携わる傍ら、執筆活動を行う。アートと本にのめり込み、「as human footprints」名義でZINE出版を開始。写真と動画の撮影・編集も。最近の関心事は、アジア各国のカルチャー、映画、海外文学、批評、3DCG、AI。キャンプ好きが高じて、東京↔︎信州・上田で2拠点生活中。