【ゆっくり、しっかり、家族になっていく。(前編)】ふたりが家族になるまで

袴田翔平(はかまだしょうへい)さん・成美(なるみ)さん

翔平さん/会社員  成美さん/助産師

青森県在住のご夫妻で、長女 明維(めい)ちゃんとの3人家族。夫の翔平さんは、ものづくりが好きな幼少期を経て、高校では建築を学ぶ。卒業後は千葉県の建築会社に入社し、大工として勤務。その後、青森に戻り、自動車部品製造会社に入社。妻の成美さんは、親戚の影響もあり、高校から看護科へ進学。出産実習に感銘を受けて助産師の道へ。現在第二子を妊娠中。

「家族みんなが安らげる、帰りたくなる家庭を築いていきたい」と話すのは、青森県にお住まいの袴田さんご夫妻。おふたりの言葉にはお互いへの思いやりと、お子様に対するまっすぐな愛情に溢れていました。翔平さんと成美さんがどうやって出会い、どんな時間を経て家族になっていったのか。袴田家の「はじまりの話」をお話しいただきました。

ふたりが家族になる前のお話 〜成美さん編〜

――成美さんは、どんなお子さんだったのでしょうか?

成美さん おとなしいというほどではなかったですが、あんまり目立たない子だったかなと思います。学校の行事でも、表に立つよりは裏方でいるほうが好きでした。自分ではあまりそう思っていなかったんですけど、工作とかで物をつくるのが上手だったみたいで、まわりからは「手先が器用な子だった」とよく言われます。

――印象に残っている子ども時代の思い出はありますか?

成美さん 親戚が里帰り出産するために帰ってくることが多かったので、小学校の低学年ぐらいから、赤ちゃんを抱っこしたりミルクをあげたりしていました。お世話をするのは嫌じゃなかったので、自分から積極的にお手伝いしていた記憶があります。

中学校のときは勉強がそんなに得意ではなかったので、高校に進学するときに「なるべく勉強しないで入れるところで、将来の仕事に繋がる資格が取れるところがいいな」と思って、看護科のある高校に入りました。普通高校に行くよりも、1年早く看護師になれるんです。

看護師をしている親戚がふたりいて、なんとなく仕事のイメージもできたし、楽しそうだと思っていたのもあって、わりとすんなり進路が決まりました。

――はじめは看護師を目指していたんですね。助産師を目指すきっかけは何だったのでしょうか?

成美さん 看護学校でお産の見学実習をしたのがきっかけでした。「命が生まれる瞬間に関われる仕事ってすごいな」と思ったし、病院の中で唯一「おめでとう」が言える場所で働きたいと思ったんです。

成美さん お産に関わる仕事は産科の看護師でもできるんですけど、助産師を選んだのは、直接赤ちゃんを取り上げられるから。ちょっと贅沢な話ですけど、お母さんよりも先に抱っこできるんですよ。ここで働けたら楽しいことが多いだろうなって思いました。

看護学校を卒業後は1年くらい看護師として働きながら学費を貯めて、2年目から助産師学校を受験をしました。卒業してそのまま助産師学校に進学する道もあったんですけど、それだと看護師の国家試験と受験を同時に頑張らなきゃいけないので、結構ハードルが高めなんです。

最初の年は何校か受けたけど全部落ちてしまって、次の年にダメだったら諦めようかなとも思っていたんですけど、2年目のチャレンジで無事合格して助産師になりました。

ふたりが家族になる前のお話 〜翔平さん編〜

――翔平さんは、どんなお子さんだったのでしょうか?

翔平さん 漫画、アニメ、ゲームが好きで、怪獣も好きでスポーツとかも好きで、よくいる男の子って感じの子どもだったと思います。でも成美ちゃんと違って、不器用な子でしたね。ものをつくるのは好きだったんですけど、時間がかかっていた記憶があります。あとは「素直で、言葉遣いが綺麗」と、よく言われていました。うちの母は小学校の担任の先生から「素直すぎて将来が逆に心配。騙されたりするんじゃないか」と言われたらしいです。

中学生くらいからはものすごく活発で、にぎやかなタイプだったと思います。生徒会に入ったり、わりと前に出るタイプでしたね。高校に入ったあたりから少しずつ落ち着いていったんですけど、生徒会には先生に声をかけられて入りました。

――先生に指名されるということは、優等生タイプだったんですね。

翔平さん いや、なんとなく言うこと聞きそうだと思われたんじゃないですかね(笑)。高校生になっても素直だったのかもしれません。

高校は工業科の学校で、専門学科がいろいろある中で建築科を選びました。木材を使ったものづくりに惹かれて、建築ってかっこいいなと思ったんです。勉強しているうちに大工さんとか設計の方向に進みたいと考えるようになって、卒業後は千葉県の建築会社に入ったんですが、労働環境が結構ハードで。2〜3年くらいで青森に戻って、今の会社に入りました。

今の会社は建築関係ではなくて、車の部品を作る会社です。違う仕事も経験してみたいと思って入社しました。小さいころからものづくりが好きだったので、基本的に何かをつくる仕事が向いているのかもしれません。

――子どものころから、将来はものづくりに関わる仕事がしたいと思っていたのですか?

翔平さん いえ、小さいころは動物園や水族館で働きたいと思っていたんです。すっかり忘れていたんですけど社会人なってから急に思い出して、そっち方面に進むのもアリだったなと少し後悔しました。今の仕事も気に入っていて不満があるわけじゃないんですけど、早めに気づいていればよかったなって、今でもときどき思います。

だから、子どもたちが進路で悩んだときには「小さいとき、あれ好きだったよね」とヒントを出すような感じで、夢を思い出すきっかけをあげたいですね。

ゆっくりはじまった、家族への道

――おふたりの出会いについて教えてください。

翔平さん 初めて会ったのは成美ちゃんが28歳、僕が30歳のときです。助産師さんと結婚した職場の先輩から飲み会をしようと言われて、先輩の奥さんが連れてきた助産師仲間の中に成美ちゃんがいました。

紹介するよ!と言われて行ったわけじゃないんですけど、先輩たちは僕たちを会わせたかったみたいです。

――お互いの第一印象はどうでしたか?

翔平さん うちの姪っ子にちょっと似てるなと思いました。姪っ子は年長さんくらいだったんですけど、雰囲気が似ていて親近感を覚えたというか。可愛らしいなと思ったのを覚えてます。

成美さん 私からの第一印象は、やたらスマホ落としてた人です(笑)。もう本当に何回も落としていて、こっちまで飛んでくるから拾って渡してあげたりしました。

翔平さん そうだったっけ?5年くらい前だからちょっと記憶が曖昧なところもあるんですけど、助産師の方と話す機会があまりないので、仕事の話をいろいろしたのは覚えてます。すごい仕事をしてるんだなって思いました。

お開きのタイミングで僕から「よかったら遊びに行きましょう」って連絡先を聞いて。それからときどき会うようになりました。

――そこからすぐにお付き合いが始まったのでしょうか?

成美さん そうでもないですね。結局そこから3ヶ月後くらいかな。

土日でもお産はあるし、夜勤もあるので休みが合わなくて。ただでさえ合わないのに、休みの日を使って東京で研修受けたりもしていたので、会っていたのは月に2回くらいです。でも連絡は毎日とっていたので、そんなに会えていない感覚もなかったですね。

翔平さん 僕は飲み会のときからお付き合いしたいなとは思ってたんですけど、結婚を考える年齢だったので適当なお付き合いはできないとも思っていました。だから、お互いにちゃんとどういう人かわかってから付き合えたので、ちょうどいいペースだったかもしれません。

成美さん 仕事が楽しい時期で結婚はまだ考えていなかったし、もともと恋愛にのめり込むタイプでもないので、私もちょうどよかったです。一緒にいて楽しいから会ってたけど、彼氏・彼女になりたいとはそんなに思っていなかったですね。

――ゆっくりペースがおふたりにはちょうどよかったんですね。お付き合いに至ったきっかけを教えてください。

翔平さん 弘前までのドライブデートですね。車で2時間くらいかかるんですけど、そんなに長く一緒に過ごすのは初めてだったんです。そのときに「長時間一緒にいても大丈夫だな、楽しいな」と思ったのをよく覚えてます。

成美さん それまでは会うのも仕事帰りにご飯や映画に行くくらいだったから、昼からずっと一緒に過ごすのは初めてで。私も「長く一緒にいても違和感ないな、疲れないな」と思っていました。

――そこから結婚前提のお付き合いが始まったんでしょうか?

翔平さん いや、そういうわけでもないんです。僕としてはそのつもりでも、成美ちゃんは「ひとりでも生きていける」とかも言っていたし。「この老人ホームが評判いいらしい」とか。

成美さん 絶対結婚しないとも、絶対結婚したいとも、思っていなかったですね。今はいろんな生き方があるし、仕事も楽しくて、まだまだ先のことというか。結婚というものに現実味がなかったです。

――仕事でたくさんの出産に関わるなかで、ご自身の赤ちゃんを早く産みたいという気持ちにはなりませんでしたか?

成美さん たくさんの出産に関わっているからこそ、良いことも悪いことも知りすぎてしまって、あまりそういう気持ちにはならなかったです。

お産は必ずしも安全ではないですし、ひとりの人間をこの世に誕生させてしまう責任も大きいし、そんなすごいことが自分にできるのかっていう漠然とした不安というか。赤ちゃんは可愛いし好きだからこそ、簡単に産みたいとは思えませんでした。自分で産まなくても赤ちゃんと触れ合えるので、そこでちょっと満たされていたのかもしれません。

じわじわ変化していく気持ち

――成美さんは「仕事が楽しくて結婚はまだまだ考えられない」という状態から、どうやって気持ちが変化して行ったのでしょうか?

翔平さん お互いに相手の両親と会ったくらいから、結婚が視野に入ったかなと思います。僕は付き合った時点で「この人となら結婚してうまくやっていけるかもな」みたいな気持ちがフワーッとあって。一緒に過ごしたり、成美ちゃんの家族と会ったり、うちの家族にあったりしていくうちに、結婚のイメージが固まっていきました。

成美さん うちの親に会ったのは、最初はピザパーティーだったよね。

翔平さん そうそう、付き合って1年くらい経ったころ「妹がピザ釜買ってピザパーティーするからおいでよ」と誘ってくれて。ご両親に会うのも緊張するし、自宅でピザ釜でピザ焼く家族ってすごいなと思いながら行ったら、和気あいあいな感じで受け入れてもらえて楽しかったし嬉しかったです。成美ちゃんのお父さんと飲んでいると、今でもそのときのことをよく話します。

――成美さんとしては「この人だったら家族に会わせてもいい」と思って誘ったのでしょうか?

成美さん 結婚に向けた挨拶のつもりではなかったんですけど、会わせても大丈夫そうだなとは思っていました。私はそのとき29歳で、年齢的に親が心配していそうな気配もあったので、安心してもらえるかなと。

ピザづくりはやることがいっぱいあるし、そういう雰囲気のほうが改まって顔合わせの機会をつくるよりいいと思ってピザパーティーに誘いました。せっせとピザ焼いてくれてたなっていう印象です。翔平くんが家族の輪に入って一緒にピザをつくる姿を見ても、他人が混じっているような違和感はなかったですね。

――翔平さんのご両親にお会いしたのは、どんなシチュエーションだったのでしょうか?

翔平さん ピザパーティーのちょっと前に、僕の姉の家でバーベキューをしたときが初対面です。姉の旦那さんのご両親と、うちの父が呼ばれているところに「成美ちゃんも連れて来たら」と姉から誘われて。そのときは成美ちゃんが飲みすぎちゃって、うちの実家に泊まることになりました。

成美さん 酔っ払ってトイレにこもっちゃったんです。そこにお母さんが帰ってきて、トイレで「初めまして」しました。ポカリとか買ってきてくれて「大丈夫?飲まされたんでしょう」と心配してくれて、優しいなあと思ったのをすごく覚えています。

翔平さん そのあたり懐が深いというか、おおらかなので全然気にしていなかったと思います。両親は成美ちゃんのことを気に入るだろうなと思っていたので、会わせるときの心配はとくにしていなかったですね。

なんでもない日のプロポーズ…
「【ゆっくり、しっかり、家族になっていく。(後編)】家族が増えて、変わること」につづく

成澤 綾子

東京生まれ東京育ち。日本酒と漫画と猫を愛するフリーライター&編集者。人物の魅力、事業の意義、プロダクトの価値を伝える取材・インタビュー記事が得意。