【ゆっくり、しっかり、家族になっていく。(後編)】家族が増えて、変わること

袴田翔平(はかまだしょうへい)さん・成美(なるみ)さん

翔平さん/会社員  成美さん/助産師

青森県在住のご夫妻で、長女 明維(めい)ちゃんとの3人家族。夫の翔平さんは、ものづくりが好きな幼少期を経て、高校では建築を学ぶ。卒業後は千葉県の建築会社に入社し、大工として勤務。その後、青森に戻り、自動車部品製造会社に入社。妻の成美さんは、親戚の影響もあり、高校から看護科へ進学。出産実習に感銘を受けて助産師の道へ。現在第二子を妊娠中。

なんでもない日のプロポーズ

――成美さんは結婚を意識してのピザパーティーではなかったようですが、翔平さんとしては結婚に向けて家族に会ってほしいという気持ちがあったのでしょうか?

翔平さん ありましたね。そのころにはかなり結婚を本気で考えていたので、家族と仲良くしてくれるところを見て、さらに前向きになったというか、結婚への意識が強くなったと思います。成美ちゃんの家族もすごく良くしてくれて、ピザパーティーの後も何回か会う機会があるなかで、お互いの家族も含めて結婚後の生活を現実的に考えるようになりました。

――成美さんはいつごろから気持ちに変化がありましたか?

成美さん 自分でも気づかないくらいゆっくり、じわじわ変わっていったと思います。結婚すると四六時中気を遣ったり、ひとりの時間がなくなったりするイメージがあって、すごく疲れそうだと思っていたんです。それも前向きになれない理由のひとつだったんですけど、翔平くんだと一緒にいても全然疲れなくて。「だったら結婚しても大丈夫かな?ふたりで生きていくのもアリかもしれない」と思うようになっていきました。

翔平さん 何となくそれを感じ取って、僕からプロポーズしました。めちゃくちゃ勇気がいるし、区切りがないと動けないと思ったので、成美ちゃんが30歳になるまでにプロポーズしようと決めて、いけそうだなと思ったタイミングで。

休みもなかなか合わないので、とくに記念日でもなかったんですけど、仕事帰りに成美ちゃんの家で会う日に赤い薔薇12本の花束を買って行きました。花言葉が「私の妻になってください」なんです。「結婚してください」の108本はさすがに処分に困るだろうなと思って、12本にしました。

玄関では隠しておいて、部屋に向かう途中でひざまずいて「結婚してください」と渡した感じです。

成美さん 玄関の段階で「何か持ってるな」とは思ってたんですけど、薔薇の花束もプロポーズもまったく予想していませんでした。

――まだ結婚への気持ちが固まり切っていない状況だったと思うのですが、プロポーズを受けてどう感じましたか?

成美さん 「嬉しいけど、今なのか!」と思いました。「なるほど、20代のうちにっていうことか。確かに、それもありかもな」とか、いろいろ一瞬で考えてから「はい」って返事しました。口元を手で押さえて「わあ」みたいな反応とかはできなかったですね。でもちゃんと、嬉しかったです。

翔平さん 覚えやすくて良さそうな日はないか調べたら、4月にも「いい夫婦の日」があったので、プロポーズから2ヶ月後の2021年4月22日に入籍しました

ふたりで乗り越えて、親になっていく

――出産に対して怖さがあると話されていましたが、結婚して考えは変わりましたか?

成美さん 授かりものなので、「子どもがいたらいいね」くらいの話はふたりでしていましたが、ちょっと怖いなっていうのはやっぱりありましたね。でも、結婚した年の8月にお腹にいるのがわかったときは、素直に嬉しかったです。すごく嬉しかったけど、悪いパターンも頭の片隅にはあったので、順調に育ってくれたらいいなと思いました。

翔平さん 僕もすごく嬉しかったです。でも、漫画の『コウノドリ』を読んだ後だったし、成美ちゃんから悪いパターンの話も聞いていて、知識が増えていたので心配もありました。赤ちゃんって普通に生まれるものだと思っていたところから、意識が180度変わっていたので。つわりもしんどそうで、妊娠中は成美ちゃんと赤ちゃんのことが、とにかく心配でしたね。

成美さん 自分的にはつわりはそんなにひどくなかったんですけど、食べられるものが限られていたり家事ができなかったりする時期はありましたね。一番しんどかったときでもカルピスは飲めたので、それを知った翔平くんが「カルピス買ってくる!」って飛び出して、商品棚にあった全種類の味を買ってきてくれました。

ありがたいけど、ちょっと面白かったですね。結局飲みきれないまま、開いてないカルピスがいっぱいあるまま、つわりが落ち着きました。他にはご飯の匂いや洗剤の匂いがダメになって、その期間に翔平くんの洗濯スキルがめっちゃ上がったので、今も助かってます。

翔平さん 成美ちゃんはお母さんとしてお腹で育ててくれているのに僕は何もできなくて、父親としてできることって少ないなと思うこともありました。

地域がやっている両親学級に参加して、重りをつけて妊婦体験をしたんですけど、常にこの状態なのは想像以上に大変だなとすごく思いました。普通に生活することが難しいっていうのを体感できて、知っておけてよかったです。

――お父さんはお母さんよりも、親になる実感が湧きづらいという話も聞きますが、翔平さんはどうでしたか?

翔平さん 親になることを頭では理解していても、お腹に赤ちゃんがいる成美ちゃんほどは実感できていなかったと思うのですが、ふたりで少しずつ赤ちゃんのものを揃え始めたくらいから「本当に親になるんだな」という実感が湧いてきました。

哺乳瓶とか哺乳瓶を消毒する容器とか、ちっちゃいお洋服とか、赤ちゃんのものってこんなにって必要なんだな、こういう世界があるんだなって、アカチャンホンポで買い物しながらしみじみ思ったのを覚えています。生まれてきてくれる日がどんどん楽しみになっていきました。

父として、最初の大仕事

――赤ちゃんのための準備として重要なお名前は、どうやって決めたのでしょうか?

成美さん 母親に比べて、父親は生まれるまでにできることが少ないので、名前は翔平くんに任せました。コロナ禍で立ち会いもできない時期だったので、何かひとつでも大きな役割がないと、出産に参加した気持ちになれないと思って。

翔平さん つわりの交代もできないし、家事ぐらいしかできなくて、不甲斐なさというかモヤモヤを感じることはやっぱりあったので、成美ちゃんがそう考えてくれたのは嬉しかったです。

性別がわかったあたりから考え始めて、音の響きでまず20個くらい候補を出しました。誰からでもすぐ覚えてもらえて、忘れにくい名前がいいなと思って、本を見ながら漢字や意味、画数を考えたり、名字とのバランスとかもすごく考えましたね。「名字としっくりくる・意味もちゃんとある・画数もいい」という条件で最終的にふたつまで絞って、ふたりで選んだのが「明維(めい)」でした。

成美さん 「維」には「エネルギッシュ、自分で行動できる」のような意味があるので、明るく信念を持って、自分の力で人生を切り拓いてほしいという思いを込めました。5月生まれなので、誕生日も覚えてもらいやすいかなと思っています。

――名前を一任するときに、不安はありませんでしたか?

成美さん 大丈夫だろうとは思っていたんですけど、よっぽど変だったら止めようと思っていたので、たまにどんな感じか聞いてはいました。名前が決まってからも、一応顔を見てから最終決定しようとは言っていて。生まれてきた顔を見て「あ、明維だな」と。

――出産までは順調でしたか?

成美さん 赤ちゃんがちょっと小さめだったので、勤め先の病院からの勧めもあって1ヶ月早めに産休に入りました。私は心配するほどじゃないとわかっていたから「小さく産んで大きく育ってくれたらいいな」くらいに思っていたんですけど、まわりは心配していましたね。

翔平さん 「病院から働くのを止められるレベルって、大丈夫なの?」と不安に思っていました。結構ギリギリまで逆子だったし、成美ちゃんは知識があるから大丈夫とは言ってくれるけど、産休に入ってからもずっと心配でしたね。

――産休に入ってからは、どんなふうに過ごしていたのでしょうか?

成美さん 体力をつけるために、ふたりでしょっちゅう散歩に行ってました。いろんな公園に行って「生まれたら連れて来たいね」「赤ちゃんにも良さそうだね」って、いつか公園遊びするときの下見みたいな散歩でした。普段はあまり行かない場所に行って、「こんな公園があるのか!」と発見するのも楽しかったです。

翔平さん ふたりで過ごせなくなる寂しさとかはなくて、3人になるワクワクが大きかったね。結構胎動が激しくて成美ちゃんのお腹をたくさん蹴っていたのに、僕が手を当てると静かになっちゃうから、「まだ父親として認められてないのかな」ってちょっと凹んだりもしましたけど、会える日がとにかく楽しみでした。

成美さん ちっちゃいけど、元気いっぱいだったね。今でも足の力が強い子です。

安心と責任、可愛さと怖さ

――たくさんのお産に立ち会ってきた成美さんですが、自分のお産はどんなものでしたか?

成美さん 予定日を過ぎていたので入院することになって、入院したら陣痛が自然に始まりました。結局陣痛が来てから1日以上経って生まれたので、一般的に言えば難産の部類に入ると思います。

でも、なかなかうまく進まないときにも「この感じだと、もうちょっと時間かかるな」「多分この後はこうなるな」というのが予測できたので、なんとか耐えられた感じです。めっちゃ痛くて叫びながらも、頭の中は結構冷静でした。何も知識がない状態だったら、大変だったと思います。

――立ち会い出産ができない状態で、心細い気持ちになったり、不安に思ったりしませんでしたか?

成美さん 勤め先の病院だったから知っている顔ばかりで、心強かったです。顔見知りの助産師さんが胸のところまで赤ちゃんを連れてきてくれて、先輩にもおめでとうと言ってもらえました。

翔平さん 僕は仕事だったんですけど、ずっと不安でした。連絡がないな、まだ産まれないのかな、ふたりとも大丈夫かなって。

一日中落ち着かなくて家に帰ってからもずっとふわふわした気持ちで過ごして、連絡が来ても駆けつけられるわけじゃないんですけど、ずっと起きていました。ちょっと寝ようか悩んでいた深夜2時頃に「産まれたよ」と連絡があって、一気に目が覚めたのを覚えてます。

成美さん おばあちゃんたちも「そろそろなんじゃないか」と思ってたみたいで、連絡したらみんな起きてくれていました。

――成美さんから連絡があったとき、翔平さんはどう思いましたか?

翔平さん 妊娠中も出産中もずっと心配だったので、とにかくふたりとも無事でよかったと思いました。でも赤ちゃんが呼吸器を付けるって聞いて、まだ心配もありましたね。

成美さん 呼吸がちょっと安定しなかったので、分娩室からそのまま保育器に入って、2日くらい酸素を吸ってもらってたんです。経験上、一時的なものっぽい雰囲気だと思ったので「全然大丈夫だよ」とは言ったんですけど、保育器って聞くとやっぱり怖いですよね。

――やっと明維ちゃんに会えたときの気持ちはどうでしたか?

成美さん 産んだ後は、元気に生まれてきてくれてよかったっていう安心と、この世にひとりの人間を誕生させてしまった責任を同時に感じました。すごく可愛いし嬉しいけど、責任の重さがズシッときて。「親としてちゃんとしなきゃ」と思いました。

翔平さん 退院するまでの1週間は、ミルクを飲んでる動画だけで感動していました。実際に手に抱く前からもう可愛くて、早く会いたかったです。ようやく抱っこできたときは、すごく小さくて「新生児ってこんなに軽いのか」と思ったのと同時に、命の重みも感じました。

成美ちゃんと同じで、ひとりの命を握っていく責任がグッと乗っかってきましたね。可愛さ半分、怖さ半分っていうバランスでした。

成美さん 退院してからも新生児期はとにかく生かすのに必死で、可愛さと喜びを心からかみしめられるようになったのは新生児期間が終わったぐらいからだったと思います。

翔平さん そうだね。そこからは「可愛い」が「怖い」をどんどん上回っていきました。

一緒に成長した育休期間

――退院後、家族3人の生活はどのように始まりましたか?

成美さん 新生児期は私の実家に里帰りしていました。ちょっと慣れるまでのつもりだったのが、じじばば達が「もうちょっといたら~」と言ってくれるので延長して、結局4ヶ月くらいいましたね。途中からは、育休をとった翔平くんも一緒でした。

翔平さん 早い段階で育休申請はしていたんですけど、その月の1日から取れるというシステムなので、6月1日から1ヶ月の育休を取得しました。でも、育休期間前も仕事帰りに顔を見に行っていたので、会えなくて寂しいってことはなかったです。ときどき泊まってもいたし、僕も半分住んでいるような状態でした。

――育休期間中は、夫婦でどのようなことに気をつけて子育てをしていましたか?

成美さん 私が仕事復帰するにあたって、翔平くんもいろいろできるようにならないと困るだろうと思って、自分で判断して解決する力を身につけてもらえるように意識しました。私になんでも聞くんじゃなくて、「まず自分で考えてやってみて」と言って、難しいところはフォローする感じで。今はわからないことがあっても、ひとりでいろいろ考えて解決できるようになったよね。

翔平さん 成美ちゃんは赤ちゃんの知識があるし、お世話も上手だし、先生みたいに感じていたんですけど「なんでも聞いて教えてもらっているんじゃダメだな、親として成長できないな」と思って頑張りました。今はある程度、自分で判断して対応できるようになったかなと思います。

家族が増えるたびに、増える笑顔と幸せ

――産まれてから、家族の形はどのように変化しましたか?

翔平さん 明維が家庭の中心になりました。楽しいことが2倍から3倍になったというか、笑顔がすごく増えたと思います。日常のささやかな幸せや「楽しい」が毎日どんどん増えていく感じです。

成美さん 本当にささやかなんですけど、買い物に行って「この服、可愛いね。明維に似合うね」って言いながら服を選んでいるだけでも楽しいですね。服が大きくなったり、できることが増えたりして翔平くんと一緒に喜んでいるとき、「これからもこうやって一緒に喜んでいけるんだな」と思うときに、家族っていいなと感じます。

できることが増えていくのは嬉しいし幸せだし、成長してくれるのはいいことなんですけど、寂しい気持ちもあったりします。「ハイハイはもう見られないのかあ」とか。

翔平さん 言葉も少しずつ話せるようになってきました。「お父さん、お母さん」と呼んでもらおうと思っているんですけど、まだはっきり言えないから「とと」「かか」みたいな感じで、それがまた可愛くてしかたないです。

――ふたりめのお子さんがお腹にいるとのことですが、現在はどんな心境ですか?

成美さん お腹にきてくれたのがわかったときは、素直に嬉しかったですね。一度経験して勝手がわかっているところもあるし、どうにかなった自信もあるので、今回は怖さよりも楽しみのほうが強いかもしれないです。

翔平さん 今回は立ち会えるので、生まれたてホヤホヤの我が子を抱っこできるのが楽しみです。あとは明維に寂しい思いをさせたくないと思っています。まだまだ小さいし「お姉ちゃんだから我慢してね」っていうのは、なるべくしたくないので。明維が寂しくないように、成美ちゃんに無理させないように、父として夫として頑張ります。

――最後の質問です。おふたりにとって家族、そして家庭とはどういうものですか?

成美さん 良いことも悪いことも共有して、人生を豊かにしてくれる存在ですね。家族みんなが安らげる居場所を、家族で力を合わせてつくっていきたいです。

翔平さん 僕にとって家族は、なくてはならないものです。これから4人になって、ますますかけがえのない存在になっていくと思います。家庭は、帰りたくなる場所ですね。自分にとっても家族にとっても、ずっとそういう場所であってほしいです。

お父さんとお母さんから、明維ちゃんへ

成美さん 生きているといろんな事があると思うけれど、何かひとつでも自分の好きなことを見つけて、のびのびと生きてほしいです。

翔平さん これからいろいろな事を知って影響を受けていくなかで、自分のやりたいことがきっと見つかると思います。歳をとると、しがらみや大変なことも増えてきますが、自分のやりたいことを優先して、明維の好きなように生きてほしいです。

お父さんとお母さんから、生まれてくる赤ちゃんへ

成美さん 産まれてきてくれるのを、家族みんなで楽しみに待っています。最高の人生のスタートを切れるように、産まれてくるまでの間、一緒に頑張りましょう。

翔平さん お父さん、お母さん、お姉ちゃんは、生まれきてくれるのを毎日楽しみに待っています。元気に、できるだけお母さんに負担をかけないように出てきてね。4人で過ごせる日々を今からとても楽しみにしています。

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成澤 綾子

東京生まれ東京育ち。日本酒と漫画と猫を愛するフリーライター&編集者。人物の魅力、事業の意義、プロダクトの価値を伝える取材・インタビュー記事が得意。