【推しの概念】わたしたちはなぜ「推し」という言葉を使うのか

「推し」ってなんだろう?

好きなタレントやアーティストなどの芸能人、キャラクターだけでなく、「推しパン屋さん」「推しサウナ」のように対象は人に限らなくなってきた。
推し香水、推しブランド、推しビールに推し餃子…。考えるだけで不思議とちょっとワクワクしてくる。

身近な人に対して使うことも増えた。

たとえば彼氏や彼女のことを「推し」としているひともいるし、ほかには職場の上司や同僚、学校やバイト先の先輩、時には後輩だってそうかもしれない。

重たくなりすぎず、カジュアルな憧れや敬意を伝えたいときに使える“ちょうどいい”言葉。

わたしは、そしてわたしたちは、どんなときに「推し」という言葉を使うのか。今までなんとなく使っていたから、少し考えて言語化してみようと思う。

一般的な「推し」=芸能活動をしているひと

アイドルやタレントをはじめ、歌手、俳優、声優、海外タレント、芸人、YouTuberやVtuber、さらにはインスタグラマーやインフルエンサーなど、ひと口に芸能活動といってもその内容は今や多種多様。

さらには「若俳」と呼ばれる若手俳優からV系、メン地下、地下アイドル、コンカフェの店員まで、いわゆる「接触」のある推しを応援しているひともたくさんいる。チェキにループに鍵閉め、認知と専門用語には事欠かない。

ほかにも2次元のキャラクターや2.5次元の舞台俳優を推すことだってある。

そこにパフォーマーだけでなくクリエイター側の活動者も含めたら、「推し」という言葉の対象はものすごく幅広い。

これらはざっくり「好き」という気持ちが起点になっているわけだけど、どんな好意かというとその種類も深さもさまざまなのがまたおもしろい。

単純な応援の気持ちから「ガチ恋」「リアコ(リア恋)」に分類されるものまで、人の数だけ感情も存在するのだ。

好きなあまりに推しの私物や番組で使ったものを買ってみたり、ドラマや映画のロケ地を聖地巡礼してみたり…、推し活をしているひとなら共感する部分があるかもしれない。

「好きかも…」から「推す!」に変わるとき

人生の半分くらい推し活をしているわたしの答えは、突き詰めると意外にもシンプルだった。

それは、「このひとをもっと見ていたい」と思ったとき。

そして、その気持ちを自覚するだけでなく、いよいよ好きが膨らんで認めざるを得なくなったなら、「降参しました!」という気持ちと共に「推し認定」がくだる。

映像作品があれば追いかけ、バラエティに出ると知ればワイプ要員だろうと録画し、歌番組に出ようものなら一生録画を擦り続ける…。そんな熱量で応援したくなるひとが現れたら、それはもう推しだと認めてしまった方がラクだよね…。

ところによっては「担当になる」と表現する界隈もあるだろう。

「このひとを応援する」と決めて、それを「自分または他者に宣言する」とき、わたしには自担、あるいは推しが増えるのだ。

ただし、ガチ恋勢については「推し」と「好きなひと」との違いに悩むことがあるかもしれない。推しだと認めるのが苦しい…なんてときも…。この辺りの話は、またいつか別の機会に考えてみたい。

芸能人ではない、もっと身近な存在に使う「推し」

思い返してみよう。学生時代の憧れの先輩。仕事先で親身になってくれた同僚。親友といえる仲のいい友だち。いつも行くカフェや美容院の店員さんなどなど。

必ずしも付き合いたいとか恋愛対象というわけではなく、話すと元気や勇気をもらえる存在。
そのひとが視界に入ったり、声をかけてもらえたりするとなんとなく嬉しくなる存在。

あるいは「こんな人間になりたい」と目標にしたくなるひと。

そういうひとたちに、かしこまりすぎず“好き”を伝えたいとき、「〇〇さんが推しです!」という言葉はとても便利だ(もちろん、「恋人が推し」というのも楽しそう!毎日がファンサ、毎日が新規エピソード。それってとっても素敵なこと!)。

場所や物にまで使う、「推し」

また少しわたし自身の話も交えながら考えてみる。

わたしには好きな温泉がある。煮詰まるとその温泉がある土地に行き、近くのお寺や周辺をぶらぶら歩くことにしている。

露天風呂に浸かり漬かりながら、水の音や自然の声に耳を傾ける。俯いてばかりだった視線を上に向け、空の色の変化に気づき、暮れていく日をぼんやり眺める。
そうしているうちに、普段忘れがちな深い呼吸がまたできるようになっている自分に気づくのだ。

そういえば、わたしはなぜその土地を選ぶのだろう。

普段スマホやPCからで流れてくる情報を仕入れっぱなしにしているから、いったん強制的に離れる時間を作りたいのかもしれない…けれど、正直理由はあまり考えたことがない。

ただ、そこに行くと心地がいいから、行く。

好きな食べ物や飲み物も同じだ。

週に一度は食べたいパスタ。労働の後の餃子とビール。いかなるときでも食欲をそそるアジア飯に沖縄料理。そして、同じ味ばかり飽きずに繰り返し買ってしまうカップラーメン…。

「なぜこれが好きなのか」パッと浮かぶこともあれば、理屈じゃないんだよな〜ということもある。

でも、おいしいから、気に入っているから、またそれを味わう。そんな自由な気持ちで、きっといいんだ。

多分、場所や物に関しては「好き」も「推し」も根底は同じなんじゃないかな。

またこの場所に来たい。またその物を使ったり食べたりしたい。映画やドラマ、音楽は何度もくり返し触れたい。そんなシンプルな気持ちだ。

単純に推し(=嗜好)が同じひととは話が盛り上がる。コミュニティーの形成や会話のきっかけにもひと役買ってくれる気軽な言葉の使い方で、これは結構「推せる」。

ぜひこれからも積極的に使っていきたい。

「推し」の概念、まとめ

今回考えてみたのは、芸能活動をしている推し、身近にいる推し、そして場所や物の推し。

「まだまだ別の推し〇〇がある!」というひともたくさんいるだろうけど、区切りがいいので上記の3つを総括してみる。

わたしが捉える「推し」とは、こうだ。

  • またそのひとに会いたい、その物に触れたい、その場所に行きたいと何度も思えるもの
  • 存在に触れると元気をもらえたり、ときには「次に会えるまで(行けるまで、続きを見られるまで)生きよう」って奮い立たせたりしてくれるもの

その存在が好きなんだと誰かに表明するときに、「推し」という言葉をあてて表現することで軽やかさが生まれるのではないだろうか。

もちろん推し数だけ解釈があって、「大好きな存在」だけでは収まりきらない感情を込めて使うことだってあっていい。

実在する推しの場合、好きすぎて反応に病むこともあるかもしれない。

でも、出会う前の自分とは確実に何かが変わっていて、それが嫌でもなくて、自分の世界や価値観が広がるきっかけをくれたのが推し。推しがいなかったら好きになっていないものや触れていない作品がたくさんある。

わたしはそう考えると、推しってかけがえのない存在だな〜と愛おしくなった。

もしも推しがいるひとは、どんなふうに出会って好きになったのか当時の感情を思い出してみるのも楽しいもの。

「最近モチベ低い」とか「ちょっと冷めたかも」となってしまったとき初心に帰れるよう、なるべくメモや現場の写真を残しておくのもおすすめだ(推しフードや推しスイーツだとおいしい気持ちを思い出せてさらにハッピー!)。

推しとの関係性はいろいろあるけれど、それぞれの界隈のマナーを守りつつ、今後も健やかな推しライフを!

織詠 夏葉

おりえ なつは。暮らしのメディア、おでかけメディアにてライターを務める。約3年間エディターやコンテンツディレクターとして稼働し、個人でも執筆活動を開始。映画や音楽、ファッション、雑貨、香水、推し活などに広く浅く興味津々。