皆さんは、“ZINE(ジン)”をご存知だろうか?
個人やグループが自由に制作する冊子を、ZINEと呼ぶ。企画も、掲載コンテンツの制作も、編集も、すべて自ら行う。中には、印刷、製本まで手がける制作者もいる。
1年前、小さな本屋を巡り歩く過程で、私はこの限りなく自由な出版物と遭遇した。それは、90年代にインターネットに出会ったときのような衝撃だった。
写真集、詩集、グルメガイド、イラストエッセイ、文芸雑誌…。ZINEの種類はさまざまだ。書店や販売イベントで、心惹かれた作品を買い集め、そして。
今では3冊のZINEを完成させて、イベントで対面販売をするまでに至っている。今回の記事では、この自由なものづくりの虜となるまでの道のりをご紹介したい。
わたしのこと
- 年齢:30代
- 性別:女
- 職業:PRプランナー
- ライフスタイル:夫と同居、インドア派時々アウトドア派、リモートワーク、夜型、自炊派
ZINEづくりに惹かれた理由
「いつか、本を出せたら」
小さい頃から、そうぼんやりと思い続けてきた。本が好きな方、文章を書くのが好きな方であれば、きっと同じような考えを抱いたことがあるはずだ。小学生のときの夢は小説家で、いつかは恋愛小説なりミステリ小説なりを引っ提げて、文壇に颯爽と登場することになると思っていた。
今のところ、思い描いていた未来は訪れていない。訪れそうな気配もない。
そんな、くすぶる30代の前に、彗星のごとく現れたのがZINEだった。ZINEは、かつてのインターネットと同じ匂いがした。
父親のノートパソコンを譲り受けたのは、小学5年生のときだ。ネットの海で恐る恐る波乗りをはじめた私を、誰に気兼ねする必要もない、自由な表現の渦が待ち構えていた。
ホームページを立ち上げ、何気ない日常を書き連ねる。感情にまかせて書きなぐった詩や小説を、そっと公開する。誰が読んでいるのかも判然としないテキストサイトだが、エンターページのカウンターは確かに数を増やしている。時折、ネット上の友人が掲示板にコメントを残してくれる。
ZINEには、そんなのびやかな自由がある。
自分の就活記録を淡々と書き連ねたZINE、冷麺への愛を綴ったZINE、“夜”に関する作品を収録したZINE…。
そして、この極めて個人的ともいえる出版物を、「お金を払ってでも所有したい」と望む人々がいる。それは、ZINEの面白さのひとつであり、無料のコンテンツで溢れ返るインターネットとは一線を画する部分である。
所有欲を掻き立てられるのは、ZINEが“もの”であるからだ。内容だけではなく、装丁や印刷にもそれぞれ特徴がある。自分の手で1冊ずつ綴じる制作者もいれば、全ページ手書きの制作者だっている。かと思えば、コンビニのコピー機で刷ったZINEもある。すべてが自由で、そこに制作者の個性が現れるのだ。
爆発する個性の価値を認める人が、どこかにいる。万人に愛されるZINEなど生まれなくていい。すべてのZINEが、どこかの誰かの心に突き刺さる可能性を秘めている。
この、震えるほど面白く、どこか懐かしい世界に、私も全身を浸してみたくなった。読み手としてのみならず、作り手としても。
自分の世界観を、誰かが気に入ってくれるということ
とはいえ、制作者としてZINEの世界に踏み込むのであれば、作りたいものがないと始まらない。候補はいろいろあったが、まずは、趣味でアートを鑑賞しているうちに生まれた思考をZINEに昇華することにした。
世田谷区駒沢にあるZINEショップ、MOUNT ZINEが、折よく出品作品を募集しているタイミングだった。MOUNT ZINEへの出品を目標に、同じくZINEに関心を示していた夫とともに、as human footprints名義で制作に取り掛かった。
使うのは、夫婦2人で撮りためてきた写真。自分たちに見えている世界をZINEで表現する。写真の選定やZINEのデザインは夫が、文章の執筆は私が担当することになった。
Adobe Illustratorの使用経験がなく、キャッチアップしている余裕もなかったので、制作は豊富なテンプレートを持つデザインツール、Adobe Expressで進めることに。
印刷会社は、グラフィックを選んだ。以前仕事で利用したことがある、という点が決め手だ。入稿直前にデータの不備に気づくなど、さまざまな危機があったが、なんとか乗り越えた。
MOUNT ZINEの出品締め切り日が迫っていたので、余暇の時間を惜しみなく注ぎ込んだ。ひとつの趣味として、これほど夢中になって何かに取り組んだのは久しぶりだった。本を読んだり、映画を観たり、美術館に通ったりと、インプットばかりしていたので、アウトプットに飢えていたのかもしれない。
なんとか完成させ、無事にMOUNT ZINEへの納品が叶ったが、ZINEが売れたかどうかは店鋪から追加納品の依頼が来るまでわからない。印刷会社から手元に届いたときには「これぞ、渾身の1冊!」と思えたが、「本当に読んでくれる人がいるのだろうか」と不安な気持ちも拭えずにいた。
だからこそ、追加納品の依頼メールが届いたときは、世界が1段階明るくなったような気がした。自分が見ている世界の表現手段であるZINEを、選びとってくれた誰かがいる。その誰かに思いを馳せる。それは、くすぐったく、愛おしく、特別な体験だ。
ZINEを介してつながる
それから約半年後、新たに2冊のZINEを作った。テーマは、台南旅と北海道キャンプ旅だ。
新たな挑戦として、Adobe Illustratorでの制作に取り組んだ。新しいことを学ぶ機会があるというのは、楽しいものだ。ZINEの綴じ方は、中央部分を針金で閉じるだけの“中綴じ”から、背表紙を作れる“無線綴じ”にし、ページ数も約3倍に増やした。
そしてついに、対面でのZINE販売イベントへの出店を果たす日がやってくる。参加したのは、吉祥寺パルコの屋上で開催された吉祥寺ZINEフェスティバル、通称“キチジン”だ。来場者として楽しんできたイベントに、出店者として立つ。それは、とても心躍る試みだった。
キチジンは、テーブルや椅子といった什器の用意がなく、ブースレイアウトはすべて出店者に任されている。ディスプレイ方法の検討も、買い出しも、すべてが新鮮で楽しいひとときだった。
緊張と興奮でそわそわしながら迎えた、イベント当日。1冊も売れない場合もあると覚悟していたが、ひとりの男性が1作目のZINEを手にして「これください」と声をかけてくれた。私と夫が悪戦苦闘しながらゼロから作り上げたこのZINEを、家に持ち帰ろうとしてくれている。何かが彼のどこかに刺さっている。そのことに、シンプルに感動した。
台南旅のZINEを買われたご夫婦は、「お店に置きますね」と言ってくださった。聞くと、台湾料理を出すカフェを開いているという。3種類すべてのZINEを、1冊ずつ購入してくれた方もいた。「世界観がとても好きです」という言葉をいただいたときは、生きてきた道のりを丸ごと肯定されたような気がした。
対面での販売は、顔が見え、声が聞けるからこその喜びがあった。一緒にブースに立った夫も、作ったZINEについてお客さんに熱く語り、とても楽しそうにしていた。シャイな人だと思っていたが、出会って10年目にして新たな一面を見た。
もし、いま窮屈だと思うなら
ZINEと出会ってまだ間もないが、毎日が鮮やかさを増したように感じている。
情報の渦に飲まれて何かと疲弊しがちな日々の中、ZINEをそっと開く体験は、さながら木陰での休息のようだ。そして、自由なZINEづくりには、どこまでも続く青空の下、紙飛行機を飛ばすかのような爽快感がある。
デジタルでの表現やコミュニケーションに少しでも窮屈さを感じている方は、ぜひ一度、ZINE制作の世界を覗いてみてほしい。きっと、いつの間にか夢中になっているはずだから。
* “as humanfootprints オンラインストア”にて、ZINEを販売中