春の足音がすると、その先に見える“光”の気配にうれしくなる。
長く暗いトンネルから徐々に目の前が開けて、キラキラとした風が柔らかにわたしを迎えてくれる。
移り変わる季節の情景は、ときに泣きたくなるほど美しい。
短い一瞬だけの春〜初夏を前に、いま思うことを綴ってみる。
寒がりなわたしと冬の距離感
わたしは超がつくほどの寒がり。
寒さを感じるセンサーが極端すぎて、「暑い」「暖かい」の次はもう「寒い」。
「普通」「涼しい」を抜かして、急にスイッチが切り替わってしまう。
冬場ともなれば、外出時には必ずヒートテックを何枚も重ね着。
ニットのトップスを着た上から、もこもこのカーディガン、アウター、スヌード、ニット帽という重装備で身を固める。
カイロは最低でもお腹と背中と足首に貼るし、膝掛けの用意も欠かせない。
180デニールの極暖タイツを愛用し、去年の冬は360デニールにも手を出した(サイズ選びを間違えて結局履けなかったけれど…)。
ただでさえインドア派なのに、これではなかなか出かけるのにハードルが高い(洗濯物が大量に出るのも億劫)。
家にいる間もずっと電気毛布にべったりで、起き上がるのにも気合いが必要なほど。
日照時間の短い冬場は特に、夕方から夜になるスピードが速く感じる。
平日は仕事もあってなんとか午前中に起きるものの、もともと超夜型で寝るのが遅いから、休日ともなればカーテンを開けるころにはほぼ日が傾いている。
必然的に起きている時間はほとんどが夜になり、光を浴びるタイミングを逃しがちだ。
人工的な眩しい電気や白熱電球も苦手だから、夜はなるべくシーリングライトを消して間接照明。
寒がりな上に、物理的に見ている景色がずっと暗い。
クリスマスが終わり、街からイルミネーションが消えるころには、すでに冬というものに飽きてしまっている。
光の降り注ぐ季節が恋しい
明るくて暖かい季節が待ち遠しい。
花粉症持ちだから毎年辛くはあるけれど、それでも早く春が来てほしい。
もっと正確に言うなら、春から初夏にかけて、世界がきらめいていくあの感じが好きだ。
空が薄い水色からくっきりとした青を取り戻し、雲は墨汁のような薄墨色から、厚塗りの絵の具のような白になる。
風には少し湿度が乗って、日差しはアスファルトや土の匂いを呼び起こす。
桜が散るころには色とりどりの花が芽吹き、目覚め、緑豊かな葉に移り変わっていく。
どこを切り取ってもフィルム写真のような美しさがある季節。
あんなに重ね着していたもこもこの服から解放され、Tシャツにジャケットだけ羽織って、デニムにスニーカーでちょっとそこまで。
部屋が寒くないだけで、ベッドから抜け出すのも随分と簡単になる。
わたしは“身軽に動きたい”。
いま書き出してみて、あぁ、これも本音だと気づく。
暖かくなったらやりたいこと
いざ春が来たら、何をしようか。
初夏を迎えたら、どんな場所に出かけようか。
やりたいことを思いつく限り挙げてみる。
- お花見して桜を撮る、近所に咲いたチューリップを見る
- 春服を引っ張り出す、衣替えをする
- トレンチコートとデニムジャケットを着る
- 新しい靴下をおろす
- ひと足先にサンダルを履いてみる
- クリア素材のトートを買う
- ラタンや雑材、マクラメ編みのバッグで出かける
- コンビニでアイスクリームを買う
- レモネードソーダやクラフトビールをゴクゴク飲む
- 水出しアイスコーヒーを作る
- 窓を開け放して仕事する
- 日が長くなったら夕方から散歩する
- 泊まってみたい宿を探す、旅行や遊びのプランを立てる
- 動物園や牧場、キャンプ場に行く
- 平日に休みを取ってテーマパークに行く
- ラフなコーデで海を見に行く
すでに約束しているものもあるし、これから思いつくものもたくさんあるはず。
梅雨が来てまた太陽が隠れてしまう前に、光を存分に浴びておこう。
春、凝り固まっていた心と体を目覚めさせよう
寒がりなわたしは冬の間、最低限の動作しかできなかった。
心も体もガチガチになっていて、冬眠しているかのように、じっと毛布に包まっているばかりだった。
やっと、もうすぐ、春が来る。
太陽を浴びて背伸びして、深呼吸したら初夏になる。
凝り固まっていた体をゆっくりと動かしながら、まずは近所のコンビニまで散歩してみよう。
軽やかに歩く感覚を思い出したら、お気に入りのコーデで電車に乗って、遠くまで行こう。
長い冬のトンネルを抜けた先には、光の降り注ぐ美しい季節が待っている。