同じ町で、同じ家で、10年暮らした。愛着の代名詞であるような場所を、ようやく離れたのは昨年の秋のこと。
案外、寂しくはなかった。むしろ、自分のストーリーが前に進んだような気がして、清々しい気持ちになった。20代後半から30代前半にかけて、たくさんの思い出を作った町。大好きな町。だけど、いつからか、似合わない服のようになっていたのだった。
自分に合う町は、不変ではない。人生のフェーズや、周りの状況に応じて変わっていく。今回は、そんな“町”の話をしたい。
町との出会い
三軒茶屋。それが、10年(厳密に言うなら、9年と10ヶ月)を過ごした町だ。住み始めたのは、25歳のとき。今の夫と同棲を始めることになり、2年住んだ高円寺から引っ越したのだった。
ずいぶん昔のことなのであまり覚えていないが、住む町について、私は特に意思を持っていなかったように思う。三軒茶屋を選ぶ決め手となったのは、夫の会社へのアクセスのよさだった。私は、彼と住むことさえできればどこでもよかったのだ。
引っ越してみると、居酒屋が多く、大好きなラーメンを食べるにしても選択肢がたくさんあり、とてもいい町だと思った。渋谷へ出るにも、田園都市線でたった2駅。東京で生まれ育ったのに、こんな“いい感じ”の町があるなんて25歳になるまで知らなかった。
新居となったマンションは、なんと三軒茶屋駅から徒歩1分。駅の周りにはスーパーやコンビニ、商店街がいくつもある。郵便局や図書館カウンターも近く、利便性は抜群だ。
ただ、5階にある部屋の窓からは首都高しか見えず、景観はよくない。首都高の下には国道246号があり、窓は二重になっているものの、車の走行音が四六時中聞こえる。深夜になると首都高を走る大型トラックが増えるため、ベッドの上で断続的に振動を感じる。手放しで住みよい物件とは言えないが、ただひたすらに便利だった。
三軒茶屋はカフェやベーカリー、古着屋が多い町とも言われているが、残念ながらそういったおしゃれなスポットとはあまり縁がなかった。私と夫は、夜な夜な居酒屋に繰り出した。近所の赤提灯に通ううちに、お店で働く皆さんや常連さんと仲良くなった。外が明るくなるまで、店長さんたちと座敷席で語り合ったのが思い出深い。
朝の三軒茶屋は、独特な匂いがする。ほこりっぽいような、排気ガスの匂い。飲食店から流れ出る食べ物の匂い。それらが混ざり合い、太陽に照らされたときの匂いは、かつて東南アジアを旅したときに嗅いだ匂いとどこか似ていて、なんだか懐かしくて好きだった。

変わる環境
30歳になってすぐの頃に、新型コロナウイルスの感染が拡大した。飲み歩くことはなくなり、行動パターンは家にいるかキャンプに行くかの二択になった。2021年には、長野県上田市との2拠点生活も始めた。時を同じくして、近所に住んでいた友人たちが次第にこの町を離れていった。
その頃から、三軒茶屋に住むことの意味は、あまりなくなってきたのだと思う。だから、私にとってこの町は20代の思い出が色濃い。
もう、この町にときめきはしない。ただ、途方もなく便利なのだ。それに、美容院やかかりつけの病院、愛犬のトリミングサロンなど、慣れ親しんだ場所が増えると、新しい町で一から生活を始める気持ちにはなかなかなれない。長年住み続けた部屋はボロボロになっていて、退去費用への不安も引っ越しをためらう理由のひとつだった。
ところが、前回の賃貸契約更新から1年半が経ち、「次も更新しようか」と話していた矢先、妊娠していることがわかった。1LDKの小さな部屋だ。「子どもがひとり増えるぐらいなら大丈夫じゃない?」と最初は楽観的だったが、もうひとつの拠点であった上田市のアパートを解約し、捨てられない荷物を東京に運んできたところ、足の踏み場がなくなった。
やはり、引っ越さなければいけない。でも、あまり遠くには行きたくない。たまにこの町に立ち寄れるぐらいの距離で、新居を探せないだろうか。「世田谷区内ならどこでもいい」という条件に不動産屋さんは驚いていたが、区内のさまざまなエリアの物件を見学させてくれた。
「あ、ここだ」とピンと来たのは、三軒茶屋から数駅離れた町にあるこじんまりとしたマンションだった。“閑静な住宅街”という言葉がぴったりの場所で、近くには小学校があり、風に乗って子どもたちの明るい声が聞こえてくる。部屋の窓からは木々の緑が見え、小さな鳥たちがさえずっていた。
初めて町を歩いたとき、「ああ、気持ちがいいな」と思った。夏の終わりだったが、ここで過ごす秋や冬や春も知りたくなった。夫と愛犬と、冬には生まれてくるはずの子どもと、この道を一緒に歩きたいと思った。
町を着替える
今の自分にフィットする町、というのがあるのだろう。それは、「町の空気が肌に合う」ということ。この場所は、私が利便性を求めるままでいたら、きっと知ることもなかった町だ。
三軒茶屋は、喧騒の町だった。数々の楽しい思い出を積み重ねた場所だけれど、いつしか似合わない服のようになっていた。大学生のときに買って、まだ着られるからと手放せずにいるような、そんな服。
新居のある町は、今の自分にしっくり馴染む。引っ越してからも三軒茶屋まで散歩をすることはあるが、家の近くまで戻ってくるとほっとする。「帰ってきたな」としみじみ思える。
ベビーカーを押しながら、夕暮れの住宅街を歩く。小学生の集団とすれ違う。ああ、ここは、私が生まれ育った町に似ているのかもしれない。だから少し、見上げた空が懐かしいのかもしれない。
この町で、いつまで暮らすかはわからない。町を着替えるタイミングは、これからもきっとやって来る。その日を迎えるのが少し寂しく、そして楽しみでもある。

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執筆:荒井 貴彦さん